西行ゆかりの地
- JAいわい東
(岩手県東磐井郡千厩町)
- WAIWAI今昔物語「西行驚きの茶屋」(藤沢町黄海) わ・いわい 2005年8月 No.102
昔、西行法師が黄海村にもやってきました。ある茶屋で休んでいると、12、13歳位の子供が蓑(みの)を着て、片手に鐘を持ち、片手にイチゴを持って歩いて来ました。
西行法師は、「これ子供、そのイチゴを私に食べさせてくれないかな」と言いました。これを聞いた子供は、すぐに次のような歌を詠んで答えました。
一口にも足らぬ草の実を、
一合などと聞きもやられず。
これを聞いた西行法師はびっくりして、「草深い山の中だと言って、あなどってはいけないものだ」と思って、この子供の歌に、深く感心したということでした。
- ネットタウン誌 「きてきて久慈市」
(岩手県久慈市)
- 私たちの故郷の 神社
■玉川神社(たまがわじんじゃ)
通称:三日月様
◆所在地:九戸郡野田村玉川35-83
◆宮司:中野春雄(兼)
◆例祭:旧3月3日
◆由緒
文治元年(1185)西行法師が、この宮に訪れたという宮の前に、西行屋敷という場所がある。
◆氏子:80戸
◆崇敬者:30人
- 大分観光サイト (社)大分県観光協会 大分市大手町
- 国見町 大分県東国東郡国見町大字伊美2300番地の2
千燈寺、千燈石仏と旧千燈寺跡(千燈)
・・・
この千燈寺から千燈岳の中腹の細い急坂を登ると、宝篋印塔などの石造品が密集する地に出る。西行にかかわる伝説が残るところで「西行戻り」といわれる地。さらに登るとやがて一枚岩に半肉彫りにされた珍しい仁王像に出会う。かつて六郷満山中山本寺として栄えた補陀落山千燈寺(県史跡)であったが、天正年間、大友氏の兵火によって僧侶が離散するという憂き目をみ、また山火事にあうなどして廃寺となり、今は山門跡に、この一対の仁王像と石垣が往時の繁栄を伝えるのみである。現在は公園化され、それまでのヤブに埋もれてさびれた雰囲気は、なくなっている。
・・・
- よかとこBY 株式会社システム工房 福岡市東区千早
- 旧千燈寺跡 大分県東国東郡国見町大字千燈
◆ 西行返し
旧千燈寺跡の入口ちかくにある名所で、西行法師が諸国廻遊の折、千燈寺の和尚と問答をしようといて、ここまで来た時、小僧に出会い試しに問答をしたところ、小僧の返答が英知にとんでいたので、小僧でさえこれならとおそれをなして帰ったという場所。
- 南淡町役場 兵庫県三原郡南淡町福良甲512
- (12)厳島神社(きぬ掛け岩) 南淡町の文化財‐ふるさと訪ね歩き−阿万−(4/5)
潮崎にあり、宮嶋神社とも呼ばれる。
例祭は4月24日で、以前はおトウ(頭)を行っていた。
厳島大明神を祀り、「天保5年甲午6月吉日」という木札が社の中に保存されている。
西行法師が南海周遊の折り、この地に立ち寄り、衣を掛けて歌を詠んだ所といわれている。
「小鯛ひく網のうけ縄よりくめりうきしわざなる潮崎の浦」と詠んだ西行の歌碑が建っている。
- 「地域の本棚」 香川県立図書館
- 全国昔話資料集成 32 東讃岐昔話集 香川
入力に使用した資料
底本の書名 全国昔話資料集成 32 東讃岐昔話集 香川
底本の編集者名 武田 明 谷原博信
責任編集 臼田甚五郎
関 敬吾
野村純一
三谷栄一
装幀 安野光雅
底本の発行者 岩崎徹太
底本の発行日 1979年10月5日
入力者名 松本濱一
校正者名 平松伝造
入力に関する注記
文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の文字番号を付した。
登録日 2003年3月20日
四五 西行ばなし
1 昨日のけむり
昔、西行法師は歌を詠んで方々を歩いとった。
ある時に墓場の傍を通りかかると、死人を焼いているのか煙が上っていた。そこで西行法師は、
昨日の煙に 今日の煙 明日の煙に誰がいくらむと歌を詠んだ。
西行法師はその翌日もその墓場の傍を通りかかった。すると今日も墓場の中から煙が上っていた。西行がそれを眺めていると、誰の声かわからぬが墓場の中で、
昨日の煙に 今日の煙 眺めて通る人は何時までかと言う歌が聞えて来た。
それから西行法師は歌をやめて坊さんになったそうな。
―91―
2 熱田の宮
昔、西行法師が夏の日に熱田の宮まで来た。暑いので宮の境内で休んでいるうちに寝入ってしまった。しばらくして眼をさましたが、涼しい風が吹いて来た。
そこで西行は、
ここは涼しい宮なのに熱田の宮とは誰が言うらん
と歌を詠んだ。するとお宮さんの中から一人のお姫さんが出て来た。そこで西行法師はお姫さんにむかって、
豆腐のかどにけつまづき こんにゃく背骨がうちこんで それにつける薬はないかいなあ
と歌を詠んだ。するとお姫さんは、
夏降る雪を胸につけこんで それをつけたらなおります
と歌を詠んだ。そこで西行法師は負けてしもうた。
3 七瀬川
昔、西行法師が七瀬川を渡りよった。すると、馬子が馬をひいて川を渡ろうとした。そこで西行が、
ななせがわとは言うけれど 馬子が馬ひきやせわたる
―92―
と歌を詠んで、やせている馬子をからかった。
馬子はそれを聞くと、
ななせがわとは言うけれど 遍路がこがし(おちらし)でむせわたる
と歌を詠んだ。乞食坊主のような西行がこがしをもらって食べているのでむせていると西行をからかった。そいで西行はまたも負けてしもうた。(佐々庄助)
こうした話を「西行の一口(ルビ ひとくち)もん」とよんでいるそうである。
- 地域情報化推進研究会(準備会) 日本福祉大学知多半島総合研究所
- 知多半島の文学碑データベース 西行法師の歌碑
所在地:東浦町藤江亥子新田町 排水桟場道路わき(衣浦藤江越し跡)
創立年月日: 昭和57年3月14日
碑文: 波あらふ衣の浦の袖貝を/みぎはに風のたたみおくかな
由来: 西行法師(1118-1190)の『山家集』所収。「そで貝」はあこや貝のこと。「衣の浦」を「衣の裏」とかけて、「衣」の縁語の「洗う」「裏」「袖」「たたむ」を巧みに詠み込んでいる。
参考文献: 全国文学碑総覧p567市誌・町史p1034
- 篠島の宿 ギフヤ旅館 愛知県知多郡南知多町大字篠島赤石
- 立矢
平安時代もいよいよ終わりに近い頃のこと、鳥羽上皇に仕えた北面の武士佐藤義清(のりきよ)は、若くして世の無常を悟り僧籍にはいった世にいう西行法師その人である。
文治年間のある年、たまたま篠島を訪ねた西行法師は、磯あるきのつれづれに篠竹を切って弓矢を作り、崖の上の老松を目標に狙いを定めて矢を射たところ、矢は狙いたがわず目標の老松に的中した。西行法師はかつて青年武士であったあの都の頃を想い懐かしみ、「義清今だ老いず」と、二の腕を撫でて喜んだと伝えている。
島の人達の「こやんべた」という近くの磯から矢を射たであろうと想像され、ここを今でも「立矢」と呼びこの松を「立矢の松」と伝えている。松は昭和の初め頃大時化(しけ)にあい倒れて今は無い。
- 高野山霊宝館 (財)高野山文化財保存会 和歌山県伊都郡高野町高野山
- 伽藍 西行桜について
「高野の籠もりたりけるころ、草のいほりに花の散り積みければ
散る花の庵(いほり)の上をふくならば
風入るまじくめぐりかこはん」
- 越生絵日記
- あじさい山と西行杉 埼玉県入間郡越生町麦原
右下は住吉神社からほどない所にある西行杉です。「昔、ここを通りかかった歌僧・西行が食事を終え、地面に突き刺した箸がこの木である。」という伝説の杉です。昭和37年に林道ができるまでは、この西行杉の脇を通る古道は夏内(住吉神社付近)から都幾川へ向かう道として頻繁に利用されていたようです。
- 旅の道標 越生町散策記 (「越生絵日記」姉妹サイト)
- 山梨県南部町役場 山梨県南巨摩郡南部町福士28505番地2
- 西行公園 山梨県南巨摩郡南部町西行
『風になびく 富士の煙りの そらに消えて ゆきへも知らぬ わが思いかな』
- 鳥羽 答志島の宿 料理旅館とうし荘 三重県鳥羽市答志町和具
- 鳥羽 答志島の観光情報案内 西行法師歌碑(答志島)
『さきしまの小石の白を高波の答志の浜に打ち寄せてける』
- 浄土宗 千葉教区
- 光勝山 西行寺
(慧心院)(館山市船形745)
・・・その後奈良東大寺の大仏大修理のおり、西行法師が勧進の為、奥羽藤原氏のもとに旅だった際この地に立寄り旅の疲れを癒す為西行庵を結んだ。4年経過後、この地の豪族で歌道の門人、且源頼朝公の家臣安西家の安房三郎時重の寄進により、西行庵を修復して、西行寺として頼朝公の朱印をいただいた。・・・
- 京都市情報館 京都市広報課 京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町
- 天台宗 金玉山 双林寺 京都市東山区鷲尾町
- 縁起書
天保2年(1831)2月4日 けふは空も長閑なりければ、東山のあたりへ行きて、ここかしこ見回り双林寺にいたる。いと閑静にしてものふりたり。堂も釿目(ちょうな、かんなの意味)のままにて古色なるに、堂のかたはらに松1株ありて法華の松といふとぞ。
この寺は ならぶはやしもなかりけり 一木の松に青む芝草
この寺のほとりに西行の古跡とて草庵あり。竹垣・枝折戸など作りたるさまなり。立ちよりてみるにその庵のあるじ、いとねんごろにものし侍りて、釜のたぎりたるにとて薄茶など点て出しぬ。
(国学者・吉村静軒著「旅のおぼえ」)
- 備前瀬戸内呼松太鼓 岡山県倉敷市呼松
- 西行法師と清田神社 呼松今昔物語
1168年、西行法師は西国への旅に出発した。児島を通り、四国に渡った。仏道修行と歌道を極めるための旅。ここ郷内・曽原の清田八幡神社によった際の歌。
むかし見し松は老木になりにけり我年へたる程も知られて
*15年前もこの神社に寄った事があったが、その時見た松は古くなってしまった。私の身の上にもいろいろなことがあった。
四国に渡る船が風が強くて渋川で待っていたときの歌。
おり立ちて浦田に拾ふ海士の子はつみよりつみを習ふなりけり
*渋川海岸で幼い子供たちが何か物を拾っている。聞くとつみ(螺貝)を集めて数を数えて遊んでいる。自然な遊びの中に学ぶ姿を見出したのだろう。
清田八幡宮は541年、田槌ノ浦に八幡社が創立されたのが始まりで、970年に曽原の地に移された。1256年からは児島一帯の総鎮守であったが、現在は22村(曽原・串田・福江・木見・植松・川張・宗津・藤戸・粒江・粒浦・八軒屋・浦田・黒石・福田・尾原・林・彦崎・片岡・奥迫川・天城・古新田・広江)の大産土神として広く崇拝されている。昭和28年には県の重要文化財に指定されている。
- 白塚公民館へようこそ 三重県津市白塚町
- 「白塚」 地域と公民館の成立ち
白塚の地名の由来は、白砂の浜辺を意味する白州が白須賀となり、それが転化したものと推測される (河芸町史より)とのことです。南北朝期から見られる地名で、西行法師の作といわれる「根上りの松に笠かけながむれば白浪よするしらつかの浜」や、権大僧都尭多孝の「霞立緑の末とひとつにて明行空のしらつかのまつ」(伊勢紀行)の歌がのこっています。
- 東海郵便局のホームページ
- 「猿稚児」 津市の民話
「猿稚児」
昔、西行法師が垂水山成就寺に参拝した折、この寺の住職の智学を試そうと思いついたが、この寺の本尊、大日如来は西行の心を見抜かれて、子供に化けて境内の桜に登り、高い枝に腰をかけて西行を迎えた。
余りに見事な木登りに西行法師は思わず、「さるちごとみるより早く木にのぼり」と上の句を口ずさんだ。するとこの上の子供が、「犬のようなる法師来たれり」とすかさず下の句をつけて返した。
西行法師は子供の利発さは住職の徳識によるものであろうと驚き、住職との問答を取りやめたということである。
- 不明 私のPCではQTのウィンドウが出て固まってしまいます。
- 藤村の置土産 矢島 新一郎
『いささかの旅の土産として、わたしはこの南米の地に置いて行くために「大和言葉の碑文」なるものを国から用意して来た。それには東京の竹柏園、潮音社主人等の意見をも聞いて、適当と思われる古歌四首を選び、過ぐる十八年も住み慣れた麻布飯倉の旧居を畳んでこの旅に上って来るだけでも混雑した中では書けなかったのを、熱海まで持って行き、あの涼しい海風の吹き入る温泉宿の電灯のかげで書いて来たものであった。同胞第二世が少年少女のためにも、これは何より好い土産とプチジル在留の諸氏によろこばれたのはうれしかった。いずれ適当な石を見立てて、石碑の表面にはその大和言葉を、裏面には羅馬文字にて同じものを刻したいとの相談もあった。あたかも日本病院建築工事の設計も進みつつあったので、その敷地の一角こそ記念の碑を置くによしとの説があり、T総領事は土地見分かたがたわたしたちを旅館まで誘いに来て呉れた。A君と共に出掛けて行って見るとそこはサンパウロの郊外が前にひらけて、眺めのある地勢であった。石を一つごろりとそこにころがして置いたような意匠のものでも出来て、やがてこの異郷にある人々が碑の前に足を停め、母国の空をしのぶたよりともして呉れるような日がきたら、どんなにたのしかろう。こんなめずらしい草や木の香でいっぱいな植民地に大和言葉を刻んだ石を置いて、ここにも新しい世界のあることを語るような日が来たら、これまたどんなに楽しかろう。
その碑文。
あま ひなながじ と
天さかる鄙の長路ゆこひくれば明石の門より大和島見ゆ 柿本 人麿
ね
時しらぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪のふるらむ 在原 業平
大海の磯もとどろに寄する波われてくだけてさけてちるかも 源 實朝
道のべの清水ながるる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ 西行 法師
右四首、いずれも敷島の大和言葉、高き心のしちべ、古大家等がこの世にのこしたる誠実と愛とのしるしである。
西暦千九百三十六年、ブラジル国に使して。
藤村の我ら移民に寄せる熱いこころが、ひしひしと胸にせまる感動を禁じ得ない。此の藤村の「置土産」の碑は、六十二年後の今、かつて藤村が視察した地「日本病院」(現サンタ・クルス病院)の庭に、わが「ブラジル藤村会」によって立派に護持されている。
(ブラジル藤村会々長)
掲載日 1999年12月31日 金曜日
- いとぐら-糸島田舎暮らし交流会- 福岡県前原市前原中央3−20−47
- 西行返り 福岡県前原市大字雷山 このあたり
三坂の交差点を雷山方面に上っていくと、雷山入り口のバス停のところに”西行返り”とかいてある石碑と看板がひっそりと立っています。この看板を読んでみると、雷山に和歌の勉強をしに向かっていた西行が、このあたりで休んでいたら、子供が寄ってきて和歌の下の句を読み上げたが、とっさの事で西行はその句に返答する事が出来ず、自分の和歌の未熟さに気が付き、雷山に向かって手を合わせ三坂の宿へ引き返したと書いてあります。
◆本当に西行が来たかどうかはわかりませんが、糸島にはこのような伝説がたくさんあるのですね・・・
- 那須高原観光バーチャルツアーズ カオリさんのページ
- 光丸山法輪寺
栃木県那須郡湯津上村大字佐良土
西行桜を中心にまるでカレンダーの中の風景のような日本庭園があります。ちなみに西行桜という名は、西行法師が奥州行脚の折り法輪寺に詣でて、境内にあったしだれ桜を見て「盛りにはなどか若葉は今とても心ひかるる糸桜かな」と詠んだと伝えられることからついたそうです。
- シルク情報 農畜産業振興事業団 東京都港区麻布台
- 「桑の都」八王子 八王子織物工業組合 東京都八王子市
都心から西へ40キロ、首都圏第一の50万都市八王子があります。駅頭に立つと、「マルベリーブリッジ(桑の橋)」と呼ぶ駅前広場に設けられた、ペデストリアンデッキに、織物をイメージした「絹の舞」のオブジェが見えます。新しいまちづくりの一環として再開発が行われるまでは、この場所に「織物の街 八王子」の塔が建てられていました。
これに続く駅前大通りには、全国でも珍しい桑の街路樹が植えられていました。現在は他の場所に移植されておりますが、いまも「桑並木通り」と愛称されています。
古来より八王子は、「桑の都」と美称されていました。この名の起こりは、平安の末頃、西行法師が諸国巡行の折、この辺りで「浅川を渡れば富士の影清く桑の都に青嵐吹く」と詠まれたことによります。
- 船橋なんでも情報 船橋ビジネスネットワーク
- 勝間田の池 現西船五丁目勝間田公園
千葉県の郷土資料集「房総叢書」をひらくと、古来歌まくらとして知られていたらしく、この池についての古歌が沢山載せられている。「葛飾記」や「下総名勝図絵」などには、万葉集のほか千載集、後拾遺、新拾遺、夫木抄、その他の歌集からも引かれているが、西行法師の歌は水なしと聞きてふりにし勝間田の池にあらたむるさみだれの頃というのである。万葉時代はともかく、昔からあまり水はなかったらしく、「水なしと見えて」「水なきみはらにて」「水もなし」「水も名のみなりけり」というような歌が多い。ここから昔。日蓮上人が仏法のために房州より来て、この地で舟に乗ったとか、またここから渡し舟があって、鎌倉に出勤する武士が乗った、と書いている資料もある。
- 楡山神社 埼玉県深谷市原郷
- 筑波山 神話浪漫館・諸国編(歌語り風土記)茨城
昔、西行法師が筑波山に登らうとすると、岩の上に若い女が立ってゐたので、不思議に思って、歌を詠んだ。
○磯遠く海辺も遠き山中に、わかめあるこそ不思議なりけり 西行
女は実は女体山の神の化身で、歌を返した。
○つくばとは波つく山といふなれば、わかめあるとも苦しかるまじ 女体山の神
歌に負けた西行は、恥ぢ入って、その場から引き返して下山したといふ。その地を「西行戻し」といふ。「西行戻し」と呼ぶ地は全国に分布し、西行が女や子供に歌で負ける滑稽な話になってゐる。
- 戸出商工会 富山県高岡市戸出町3-8-10
- 西住墳碑 高岡市戸出大清水383永願寺境内
石碑は、高さ1.21m(4尺)、幅52cm(1尺7寸)、厚さ33cm(1尺1寸)の堅い自然石で、嘉応2年(1170)西行が建立したといわれています。文字は上品な書風であり、所々消えて読みにくいのですが、西行の筆であるといわれています。昭和4年台石を積んで、その上に石碑を移建しました。
この碑はもと西行法師(佐藤兵衛尉憲清、後に剃髪して名を円位と改める)の法弟西住(俗名季政)の郷里砺波郡三谷村(雄神村)にありました。西住は師とともに諸国を行脚し、三谷の地に帰り病にかかりました。今を限りとなった時、西行は、
「もろともに眺め眺めて秋の月 ひとりにならん事ぞ悲しき」
となげけば、西住は瀕死の身でありながら、師と同行する心強く
「駒のあとはかつ降る雪に埋もれて おくるる人や 道迷うらん」
と詠んで往生しました。
西行は丁寧に葬り、1基の塚を築き、供養の文句を刻んだ石碑を建て、菩提を弔うために庵を結び悲しみのうちに下の2首を詠んで住んだと伝えています。時に西行53才でした。
「散花を惜むや□□□とどまりて 又来ぬ春の種となるべき 西行」
「 諸共に眠り眠りて倒ふせんと 思うもかなし道芝の露 西行」
享保10年(1725)の旧跡調書によると、大清水村に、藩の御亭造営の際、砺波郡奉行原五郎左衛門が、諸方から大石、奇石を集めさせました。その時、運送人夫が誤って西住の石碑を運んできました。奉行はすぐ元へ返すよう命じましたが、永願寺住職が「この石が此処まで来たのは、何かの因縁があるからであろう。愚僧の寺地に建てさせて欲しい。」と懇願しました。奉行はこれを許し建てたといわれています。
この石碑が寛政の初め頃(1789〜)まで、永願寺の御堂前門の入口に建っていましたが、ある夜三谷村へ取り戻されていきました。後日また元の所へ持ち帰り現在に至っています。
尾崎康工の「西住墳記」によると、安永年中(1772〜80)永願寺門の入口へ移建しました。寺主が風雨のために碑の文字の消えることをおそれて東向きにして建てると必らず倒れたので、三谷の方向に建てたと記しています。
昭和33年11月24日、著名な歌法師の石碑として、また、真宗以前の念仏宗の布教を知る資料として、戸出町文化財に指定されました。
- 茨城百景 みう氏のページ
- No. 69 袋田の滝と月居山
(3) 袋田の滝
袋田の滝は幅73m、高さ120mあり日本三大瀑布の一つとなっています。西行法師が秋の季節に訪れ「この滝は四季に一度づつ来てみなければ本当のよさは味わえない」といって春、夏、冬と三度の季節にも滝を見に来たので別名「四度の滝」とも呼ばれています。
また一説では滝が四段になっているので、その呼び名が出たともいわれています。
「花紅葉 よこたてにして 山姫の 錦織りなす 袋田の滝」 西行法師
- いわて北三陸休日計画データベース
- 西行屋敷跡 野田村野田玉川地内
西行法師の足跡が残る
「山家集」の作者であり、平安時代末〜鎌倉時代を代表する歌人・西行法師。東北各地にその足跡が残る西行。玉川海岸の美しさに惹かれ、旅の途中に西行が庵を結んだとされる西行屋敷跡が玉川漁港を望む丘の上にある。
- 岩手日報社ホームページ 岩手日報 岩手県盛岡市内丸
- ■いわての橋 新玉川橋(野田村)
伝承といえば、新玉川橋の南側から海岸へ向かうと、西行屋敷跡がある。西行(1118−90年)が庵いおりを結んだ跡だという。西行は2度、平泉入りしている。著名な歌人は古い歌まくらの地まで足を延ばすのがふさわしい−と昔のだれかが伝説化したのだろうか。
- 仙台探訪宮城県仙台産業振興事務所
- 3 西行と多賀城
「踏まま憂き紅葉の錦散りしきてひとも通わぬおもはくの橋」(山家集)。
850年前西行がみちのくを訪れたとき詠んだ歌です。
「なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな」
「鈴鹿山うき世をよそにふり捨てていかになりゆくわが身なるらん」
「寂しさにたへたる人のまたもあれな庵ならべん冬の山里」
「聞きもせず束稲山(たはしねやま)の桜花吉野のほかにかかるべしとは」
「とりわきて心もしみて冴えぞわたる衣河見にきたる今日しも」
「願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃」
「陸奥(みちのく)のおくゆかしくぞおもほゆる壷のいしぶみ外の浜風」(山家集)
- 神奈備にようこそ! 瀬藤禎祥 氏
延喜式神名帳 伊賀國廿五座 大一座 小廿四座
- 木根[キネ]神社 三重県上野市長田2691-1
・・・更に西行法師伊勢に住せし頃当社に度々参り来て読める和歌に、
「あづさ弓 ひきし袂も ちからなく 射手の社に 墨の衣手」
- 猪田[ヰタ]神社
三重県上野市猪田5139
県指定史蹟 寄木の清水とも言う(伊水温故)。社殿の東方百米余の所にある。方四米程の小泉である(註十)。・・・井戸の側の碑に彫んだ和歌は。
すむかけは爰もいがとの神風や伊勢よりかよう天乃まない田 度会家行
久かたの天の長井田くむ賎が袖のつるべの縄のみじかさ 西行法師
註十 県史蹟指定書には「自然石岩組古井ハ昭和九年一月ヨリ補助ヲ受ケテ周囲ニ石柵ヲ設ケ神聖ヲ保テリ、又井畔ニハ度会家行及ビ西行法師ノ詠ト伝フル天真名井ノ和歌ヲ刻セル碑ヲ建ツ」とある。
- 愛媛大学附属図書館
- 龍穏寺(十六日桜) 愛媛県松山市御幸1丁目・龍穏寺
十六日桜は,市内山越の桜谷にあり,毎年旧十六日に咲くのでその名がある。
伝説では,老いた父親が桜の花をみて死にたいといい,孝行な息子吉平(きちへい)が,水ごりをとって祈願したところ正月16日に花がさいたことから 孝子桜(こうしざくら)ともいわれる。
寛政7年一茶がこの桜を見に伊予に紀行している。
この地の側には,日露戦争で捕虜となり松山で亡くなったロシア人墓地がある。
静かなる山下影に庵あり 雪粧(よそ)わせて見る桜かな 西行
西に行き法師もいかに初桜 しばしとてこそ杖とまりけり 一遍上人
人の気を 花に乗せゆく 桜かな 芭蕉
又たくひ 世は梅さかり 此の桜 一茶
孝行は筍よりも桜か
めずらしや梅の蕾に初桜
うそのような十六日桜咲きにけり 子規
一輪は 咲いて見せたる 桜かな 虚子
一枚に一輪十六日桜かな 碧梧桐
淡雪に十六日の桜人 霽月
花に来て 寺の田楽 よばれけり 極堂
咲いて一輪ほんに一輪 山頭火
- 十六日桜 (天徳寺) 愛媛県松山市御幸1丁目・天徳寺
『西に来て杖(つえ)笠遺(のこ)すこの里の初花桜見捨てかぬれば 西行』
昭和42年丁未歳11月吉祥日 天徳寺 十六世徳宗建立
この歌は鳥羽上皇に仕えていた北面の武士であった 佐藤義清(西行法師)が,宮仕えをやめて出家し,諸国遍歴の途中に伊予国に足をとめ,十六日桜を詠まれたといわれる。
天徳寺の南に弘願寺がある。
昔,龍穏寺にあった十六日桜は,戦災にあい,桜をみることができないが,この天徳寺と桜谷の吉平の屋敷跡に実生の桜が,毎年美しい桜を咲かせている。
当時住職筆,当寺古文書に西行の歌として伝わっていたものによる。
- 日本の墓
- 佐賀龍谷学園 佐賀市水ヶ江!
- 妙覚寺の菩提樹 小城・多久周辺
天平十三年(741)聖武天皇の勅願による行基の開基という伝承がある桐野山妙覚寺には,西行が「旅寝」した折りの句が伝えられている。妙覚寺にある菩提樹は,高さが20m,枝の広がりが15m,そしてなんと推定樹齢は1000年以上といわれている。菩提樹はクワ科の常緑高木。空に向かってそびえているその姿は,時の流れようともかわらない。
- 摩尼山 金剛座寺 三重県多気郡多気町大字神坂
- ご詠歌
当寺には、平安期末に活躍した歌人西行法師が訪れたという伝説があり、西行法師は、自分のご先祖である藤原家有縁の当寺に植えられていた桜を題材に読んだと伝えられ、それが当寺のご詠歌になっている。
昔より菩提の樹(うえき)それながら出し佛の影ぞ残れる 詠人 西行上人
- 伊勢の風 南三重観光情報
- 何と西行の歌碑である。 碑面がかすれていて判読が難しいが万葉仮名で
疲れぬる我をともなう千鳥の瀬 越えて相可に旅寝こそすれ(『山家集』)
と彫られている。この歌はかつて都から伊勢神宮に参拝した西行法師がここで詠んだものだといわれている。
- 穴水大宮 石川県鳳至郡穴水町大町ホの1番地
- 御由緒 永治度西行法師当社へ参拝の折、奉納詠歌などもある。
「立ち帰り 辺津の入り江に 舟とめて いくたびも見む 能登の島山」
- 四国霊場Home-Page
- 第72番 曼荼羅寺「西行法師の歌碑」
四国のかたへまいりける同行の 都のかたへかへりけるに
「かへり行く人のこころを思ふにも はなれがたきはみやこなりけり」
かの同行の人かたみにとて此桜に笠をかけるを見て
「笠はありその身はいかになりぬらん あわれはかなきあめが下かな」
- 尾瀬情報館 尾瀬ハイキングの友
- 「歌上川の由来」
「片品村に伝わる言い伝え」
須賀川に「歌とめ川」と呼ばれるところがあり、今は小立沢という。むか
しから語りつたえるところによれば、昔、西行法師かご工を通りかかった時
に、鎌を手に持った少女に出あった。法師が、
「どこへゆくのか」
とたずねたら、少女はそくざに、
「冬ほきて夏には枯るる草刈りに」
と答えた。歌の上の句らしいが、さてなんという草か、不思議な車もある
ものよ、と、さすがの西行法師も下の句が出来ず、よくよく考えて見れば、
それは麦のことで、少女は麦刈りに行くところであったのだ。
ようやくえとくした法師は、つくづくと感じ入り、「かかる山里の乙女に
して、この風流を持つ、わが修行いまだいたらず」と恥じ入り、とぼくと
もと来た道へ引き返して行った。
それ以来ここを「歌とめ川」と呼ぶようになったという。(須賀川)
- 民宿すぎの子 埼玉県秩父郡荒川村上田野1743-1
- 「西行さま」 荒川村教育委員会発行の「荒川村の民謡と伝説」著者 山田 えいじ
・・・ちょうど、鎌を持って通りかかった一人のお百姓さんがいました。この人はいなかでも発句などをつくる人でしたから、門前で寝ている西行さんの日にやけた顔を見て思わず、「白久にも黒い坊主が寝ているな」と口に出してしまいました。
すると、ねむっていたはずの西行さんがムックリと起き上がって、「白久という字も墨で書く」お百姓さんは、あまりじょうずなのでびっくりしました。すると西行さんが、「これこれ村の方、鎌などを持って何をするのかな?」と問いかけました。お百姓さんは、こんどはまけないぞとばかりに、「冬萌きて夏枯れ草を刈りにゆく」と答えました。
夏萌きて、冬枯れる草はたくさんありますが、冬萌きて夏枯れる草は、さすがの西行さんにもわかりませんでした。お百姓さんは、さあこんどはまいったろうとばかりに、鼻高々と行ってしまいました。・・・
- 湘南ウォーク
- 「西行の戻り松」
「これ娘さんたち、これからどこへ行くの」と、訪ねたところ、
「冬まいて、夏枯れ草を刈りに行く」と、娘たちがこたえたと。
- @kisyu あっと!紀州
- 「那智の滝」
木の下に住みけん跡を見つるかな那智の高嶺の花をたずねて(西行法師/山家集)
- Wa☆Daフォトギャラリー
- ひろしま美遊 広島県神石郡油木町
- 歌の御堂・歌の清水
宿場町であった油木の「市場」に通ずる道筋に、福山への道と備中高山への道との分岐点になっている場所があります。そこに茅葺きの一間四方の辻堂と権現山から湧き出る清水があり、渇きをうるおした西行法師が歌を残したという言い伝えから「歌の御堂・歌の清水」と呼ばれています。
- 油木町 Home Page 広島県神石郡油木町
- 歌の御堂と歌の清水
「手にむすぶ岩間の清水底澄みて行きかふ人のかげも涼しき」西行法師
この史跡は油木町文化財に指定されている。カヤぶきの一間の四角堂と泉である。
旅する人達は、この宿場油木のはたごで、疲れをいやしたといわれる。
はたごのある市場の待合は峠の上で、その寄りつきは福山への道と備中高山への道の分かれになり、そこには権現山から湧き出る泉がある。西行法師も旅の疲れをこの市場下にある泉でいやされたということです。冷たくて、澄みきった泉の水に、口の渇きをうるおわせた法師は、一句を残して立ち去られたといわれる。
それから後、この泉を「うたの泉」と呼び、かたわらに立つ辻堂を「うたの御堂」と呼び、伝えてきたのです。
- 日本の伝統的工芸品館
- 奈良県ホームページ
- 西行歌碑・西行庵(吉野町)
「ねがはくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」
- 関西デジタル・アーカイブ
- 河南町役場 大阪府南河内郡河南町大字白木1359番地6
歴史、観光案内
- 財団法人大阪みどりのトラスト協会
- まいどおおきに社団法人 大阪府観光連盟
- 大阪府
- 西行うたのみち(石川河川公園)
「わりなしや氷る筧の水ゆえに思ひ捨ててし春の待たるる」
- 近畿地方建設局 河川部
- 五十鈴川
「深く入りて神路の奥を訪ぬればまたも上なき峰の松風」
- 高砂市のホームページ
- 曽根天満宮(兵庫県高砂市)
「立渡る浦風いかに寒からむ千鳥むれゐるゆふ崎の浦」
- ウェブタウン京都
- 加賀市電子郵便局(石川県加賀市)
- 都もどり地蔵(八日市町)
『西住法師が「西行」を偲んで可愛い石のお地蔵さまを建てた』
- 和歌山県情報館
- 三栖王子(田辺市)
「まちきつるやがみのさくらさきにけりあらくおろすな三栖の山風」
- 熊野本宮(和歌山県東牟婁郡本宮町)
- 七越の峰
「立ちのぼる月のあたりに雲消えて光重ぬる七越の峰」
- かみとんだ(和歌山県西牟婁郡上富田町)上富田役場
- 八上王子跡(上富田町岡地区)
「待ち来つる八上の桜咲きにけり荒くおろすな三栖の山風」
- ふぃーるど中遠地域農業振興協議会(静岡県)
- 幸手市商工会(埼玉県幸手市)
- 幸手史
「すてはてて身はなきものと思えども雪の降る日は寒くこそあれ」
- あうあう杉戸(埼玉県北葛飾郡杉戸町)
- 打田町商工会(和歌山県那賀郡打田町西大井)
- 福島県のホームページ
- 西行の歌碑 福島県東白川郡矢祭町内川矢祭
矢祭山の景勝をうたう「心ある人に見せばやみちのくの矢祭山の秋のけしきを」
- 白河市
- 久之浜町商工会青年部(福島県いわき市久之浜町久之浜字町)
- 僧西行の碑
「陸奥の古奴実の浜に一夜寝て明日や拝まむ波立の寺」
- 全国森林組合連合会
- いにしえの黄金王国(岩手県)
「義経伝説」 佐藤弘弥氏のページ
- 平泉雑記 相原友直著
「とりわきて心もしミてさへそわたる衣川見に來るけふしも」
「衣川汀によりて立浪は岸の松かね洗ふなりけり」
「きゝもせすたハしね(束稲)山の櫻花よし野ゝ外にかゝるへしとハ」
「奥になを人見ぬ花のちらぬあれや尋越らん山ほとゝきす」
- 西行が平泉にいる風景 佐藤弘弥氏オリジナル 連載中!
- 掛川市
- 小夜の中山(静岡県掛川市)
「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」
- 東海道おかべ岡部町商工会
- 西行法師笠懸の松(静岡県志太郡岡部町)
「笠はあり身の果いかなりぬん哀れはかなき天が下かな」
- 三重県
- 長船町(岡山県邑久郡長船町)
- 西行法師腰掛けの石(有形民族文化財)
「長船の鍛冶する音の聞こゆるはいかなる人の鍛えなるらん」
- 岡山県総合文化センター
- 西行の足跡
「昔見し松は老木(オイキ)になりにけりわが年経たるほども知られて」
「下り立ちて浦田に拾ふ海士(アマ)の子はつみ(ツブ貝)より罪を習ふなりけり」
- まんのうエエとこマガジン
- 坂出市(香川県)
- 西行法師石像
「よしや君むかしの玉の床とてもかからんのちは何にかはせん」
- 愛媛大学附属図書館
- 上田地域広域連合
- 上松町へようこそ
- 木曽の桟(長野県木曽郡上松町)
「浪と見る雲を分けてぞ漕ぎ渡る木曽の桟底も見えねば」
- 岐阜県総合教育センター
- 西行法師句碑大垣市立北中学校2年田中芙実(平成9年度)
「ほのぼのと目路もかすみて青柳の枝にかかれる富士の白雪」
- 岐阜県図書館世界分布図センター(岐阜県)
- 財団法人岐阜県市町村行政情報センター(岐阜県)
- 西行硯水(恵那市)
「道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそたちどまれつれ」
- 日本のどまんなか《いびがわ》ミズみずフェスタ実行委員会(岐阜県揖斐郡揖斐川町)
- 西行ゆかりの水(恵那市)
「道の辺に清水流るる柳かげしばしとてこそ立ち留まりつれ」
- 川西市(兵庫県)
- 鼓が滝(兵庫県川西市)
「はるばると鼓が滝にきてみれば岸辺に咲くや白百合の花」
「音に聞く鼓が滝をうちみれば川辺に咲くや白百合の花」
- 多気町ホームページ(三重県多気郡多気町)
- 斎宮歴史博物館(三重県多気郡明和町)
- 鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)
- 文教大学湘南総合研究所(神奈川県茅ヶ崎市)
- 福井商工会議所
- 福井市
- 朝六ツ橋
『越にきて富士とやいわん角原の文殊が岳の雪のあけぼの』
- 葉隠遊歩(社)佐賀青年会議所
- 岩手県野田村ホームページ(岩手県九戸郡野田村)
- 西行屋敷跡(玉川海岸)
『夕されば汐風こして陸奥の野田の玉川ちどりなくなり』(能因法師)
- 奈良女子大学附属図書館画像原文データベース
- 『元興寺極楽坊縁起絵巻』
下巻(詞書6)「其のち数百歳の星霜をへて、伽藍破壊に及しかは、西行法師天井を再興せり、又東南の柱には金岡か筆にて竜王をゑかき侍る、昔此寺
の南庭の池中に毒蛇かくれゐて、時々人を悩す事おほかりしに、金岡此竜をゑかきてよりその害永くやみ、池水も又枯ぬ、」
- 信州豊南短期大学電子図書館大塚敏夫氏
- 長野県文学碑
- 『信濃なる花なし山のうぐひすは己を春としらでこそなけ』
長野市中御所一丁目八十二銀行事務センター交差点 - 『信濃なるあかしの松のありながらなぞくらしなの里といふらん』
更埴市倉科大日堂 - 『佐野山やうつや斧音の遠くともふもとのおじか小夜に見えつる寺』
更埴市桑原長福 - 『信濃なる富士とや言わむ冠着の峯に一夜は月は見むとぞ』
更埴市稲城山治田公園 - 『信濃なる有明山を西に見て心ほそのの道をゆくなり』
北安曇郡松川村細野橋 - 『信濃なる有明山を西にみて心細野の道をいそぎぬ』
東筑摩郡有明町長峰山いこいの広場 - 『三年へて折々さらす布引をけふ立ちこめていつかきてみん』
小諸市布引観音仁王門 - 『なつのよはしのの小竹のふししげみそよやほとなくあるくなりけり』
上伊那郡宮田村北割小田切藤彦氏邸
- 東金市(千葉県)
- 墨染桜(山田)
「採草の野辺の桜木心あらぱまたこの里に墨染に咲け」
- 湯津上村商工会(栃木県那須郡湯津上村)
- 西行桜(法輪寺境内)
「盛りにはなどか若葉は今とても心ひかるる糸桜かな」
- 読売新聞関西発
- JR西日本
- 横河電機株式会社
- YoshinoWebアオイコンサルタント株式会社
- 近畿日本鉄道
- 西行庵(吉野町)
「深き山にすみける月を見ざりせば思ひ出もなくわが身ならまし」
「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなき住居かな」
- 菅島(三重県志摩郡)
「菅島と答志の小石分けかへて黒白まぜよ浦の浜風」
- 法蔵禅寺ホームページ(京都市右京区鳴滝泉谷町)
- 鳴滝
「暫しこそ人目慎みに堰かれけれ果ては涙や鳴滝の川」
- 京都じっくり観光
- 桃源雲情岩井國臣氏
- 天皇火葬塚(金閣寺道)
「露と消えば蓮台野に送りおけ願う心を名にあらはさむ」
- tyamのホームページ山本俊夫氏(兵庫県伊丹市)
- お茶街道カワサキ機工(株)
- 東海道
「年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山」他多数
- 福井大学ワンダーフォーゲル部OB会
- 色ヶ浜
「しほそむるますほの小貝拾ふとて色の浜とはいふにやあるらん」
- 岡山中央魚市株式会社
- アミ
「立て初むる瞥蝦とる浦の初竿は罪のなかにも勝れたるかな」
- PC-House.NetPC House
- 西行と渋川(渋川海岸)
「おりたちて浦田に拾う海女の子は つみより罪を習うなりれり」
- 「四国八十八か所」NHK
- 表装工房 泰峰堂(愛媛県新居浜市)
- 香川県善通寺市吉原町眞鍋氏のページ1
- 「水茎の岡の西行庵」
「山里に浮世いとはん友もがな悔しく過し昔し語らん」
「山里を人来る世とは思はねど問るヽ事を疎くなりゆく」
「山里の秋の末にと思ひしが苦しかりける木枯の風」
- 「第72番札所 曼荼羅寺」西行の笠掛桜
四国のかたへくしまうりける同行の都へかへりけるに
「帰りゆく人のこヽろを思ふにもはなれがたきは都なりけり」
かの同行の人かたみとて、此の桜に笠をかけ置きけるを見て
「笠はあり其の身はいかに成ぬらんあはれはかなきあめがした哉」
ひとりみをきて帰りまつりなんするこそ哀にいつか都へかへるべきなど申しければ
「柴の庵のしばし都へかへらじと思わんだにも哀れなるべし」
- 「七仏寺(乳薬師)」西行法師の歌碑
「月見よと芋の子どもの寝入りしを起しに来たが何か苦しき」
- 「芋畑」同上
- まなべさんちのルーツ眞鍋氏のページ2
- 真鍋荘
真鍋と申す島に、京より商人どもの下りて、様々の積載の物ども商ひて、又しわくの島に渡り、商はんずる由申けるをきヽて
「真鍋よりしわくへ通ふ商人はつみをかひにて渡る成けり」
- 国府物語
- 白峰寺・西行の恋(香川県坂出市)
「よしや君昔の玉の床とてもかからむ後は何にかはせん」他多数
- 香川銀行
- 西行法師の石像(香川県仲多度郡満濃町)
「西行も難行苦行したけれど萩のはねくそ今がはじめて」
- 香川県自然科学館
- 西行像 崇徳上皇にまつわるお話
「よしや君昔の玉の床とてもかからんのちは何にかはせん」
- ディスカバー・イン・宮城 株式会社パックス
- 実方中将の墓(名取市愛島塩手字北野)
「朽ちもせぬその名ばかりを留めおきて枯野のすすきかたみにぞ見る」
- 「み熊野ねっと」
好っきゃねん大阪!NECソフトウェア関西 有志の皆様
- 江口君堂(大阪市東淀川区江口)
「世の中を厭ふまでこそ難からめかりの宿りを惜しむ君かな」
- 梶@岩戸屋(三重県伊勢市内宮前)
- 美(うま)し国・伊勢伊勢醤油本舗株式会社(三重県松阪市大口町)
- 伊勢参宮街道
「何事のおはかしますかは知らねどもかたぢけなさに涙こぼるる」
- 伊勢音頭全国伊勢音頭連絡協議会
- ようこそ那賀路へ
- 和歌山花と緑の散歩道
- 那智山(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)
「木の下に棲みける跡を見つるかな那智の高嶺に花を訪ねて」
- 南紀・白浜温泉そごう(和歌山県西牟婁郡白浜町)
- 西行の句碑(白浜観光マップ)
「波よするしららの濱のからす貝拾いやすくもおもいゆるかな」
- 能楽喧窮会のホームページ麦谷清一郎氏
- bV. 西住塚と西行歌碑(庄川町三谷)呉西地方の謡曲古跡
西行法師が、心の友の西住法師と諸国を巡り、西住法師の郷里のここ三谷村に至ったとき、西住は病気にかかり急死。西行は追悼し塚を築き、法師手向けの桜を植え、碑石に西行直筆の歌を刻んだ。この西住塚は県道が拡幅される以前はもっと大きくて、西行桜という桜の老木があり、近くに西行庵跡もあった。「越中志徴」「越の下草」などの旧記によると、慶長十六年〔1611〕、碑石は大清水村に移され、永願寺に引き取られ、この石碑は二代目のものである。
「もろともにながめながめて夜の月ひとりにならん事ぞ悲しき」西行
「道柴の露のいにしへかへりきて馴れし三谷の里ぞ恋しき」西住
- ローカルな おはなし[北摂版]
- 鼓ケ滝(兵庫県川西市)
「はるばると鼓が滝にきてみれば岸辺にさくや白百合の花」
「音にきく鼓が滝をうちみればかわべにさくや白百合の花」
- 四日市の史跡辻良啓氏
- 西行庵跡(三重郡菰野町田口)
「紫のいほりによりより梅のにほひきてやさしきかたもあるすまひかな」
- 担ぎ屋くわっち桑田弘比古氏
- 西行塚(恵那市長島町)
中津川市立坂本中学1.B桑田弘比古氏&原克利氏
「待たれる人相の鐘音すなりあすもやあらば聞かずとすらむ」
- 江尻光良のページ
- 亀垣のホームページ
- 西行桜の話(長野県戸隠村日之御子神社)
「わらびにて手な焼きそ」VS.「桧笠にて頭な焼きそ」
「猿稚児と見るより早く木に登る」VS.「犬のようなる法師来れば」
- おいりゃーせ NAGOYA
- 熱田と西行法師(名古屋市熱田区)
「かくばかり木陰涼しき宮だちをだれが熱田と名ずけめん」
返歌「やよ法師東の方へ行きながらなぜ西行と名のりそめん」(熱田大権現)
- 歩ぴーのホームページ
- 木遣り唄(一之柱)八剱神社御柱祭(諏訪市無形文化財)
「えー西行法師のお寺様(よいよい)初めてあづまに下る時(よいよい)熱田の宮にて昼寝して(よいよい)そよ吹く風にと目を覚まし(よいよい)これほど涼しきおん宮を(よいよい)
熱田のー宮とはー誰(た)が言うた(えんや はーりはさんのーえー よいしょ よいしょ よいしょ)」
- 「きらら」ホームページ(日立市)
- 西行歌碑と裸島(日立市滑川)
「大田尻衣はなきか裸島沖吹く風は身にはしまぬか」
- 鵜の島温泉旅館(日立市)
- 栄蔵小屋の帰帆 田尻八景(日立市滑川)
源平盛衰のむかしのむかし、栄蔵という僧が小島に小屋を建てて修行をしていました。その栄蔵を尋ねて来た西行法師がその質素な暮らしぶりに感じ入り、裸島にたとえて詠ったという歌が残っています。
「大田尻衣はなきか裸島沖吹く風は身にはしまぬか」
これに対して栄蔵が次のように反歌したといわれています。
「朝な夕な浪のぬれ衣着るものを、裸島とはなに名づくらん」
栄蔵小屋は黄門様ゆかりの地でもあります
- imasaki's HomePage
- 有馬温泉会館(神戸市北区有馬町)
- 有馬の歌
「津の国の鼓が滝に来てみれば岸辺に咲けるたんぽぽの花」
- ヌーさん's Home Page
- 和田岬のHomePage:Atsuki Kira's Homepageの姉妹ページ
- 文殊山と楞厳寺
- 文殊山(福井市)
「越しに来て富士とやいわん角原の文殊ケ嶽の雪のあけぼの」
- あられハウス
- 目迫観音堂奥州相馬(福島県双葉郡双葉町目迫)
「陸奥のなつゐの坂をありときくこの里のかげに日陰あるらん」
- 正覚寺(俳諧浄土寺)(神奈川県津久井郡相模湖町)
Cookie&Chocola's LIVE SHOW!
- 大磯町お散歩つづり
- 鴫立庵(神奈川県中郡大磯町)
「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」
- 神奈川県湘南地区行政センター
- 西行もどり松(神奈川県藤沢市)
鎌倉時代、西行法師が諸国を巡る途中にこの地を通りかかったとき、一本の松に目を止め、枝ぶりの見事なその姿が西の方に傾いていたため都が恋しくなり、その枝をさらに西の方に向けて立ち去ったといわれます。また、別のいわれから「西行見返り松」との呼び名もあります。この道標には「西行もどり松」と刻まれています。
- アート廣重東海銀行
- 東海道五拾三次 9大磯(神奈川県中郡大磯町)
隷書東海道・竪絵東海道
「心なき身にもあはれはしられけり鴫立沢の秋の夕ぐれ」
- 旧東海道の旅和田光平氏
- 大磯(湘南)(神奈川県中郡大磯町)
「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」
- 岡部(笠懸の松)(静岡県志太郡岡部町)
「笠はありその身はいかになりぬらむあはれはかなき天の下かな」
- 蝦夷の館
- 西行(蝦夷の人物伝)
- つぼの石文(蝦夷の歌枕)(青森県東北町)
「みちのくの奥ゆかしくぞおもほゆるつぼのいしぶみ外の浜風」
- 衣川(蝦夷の歌枕)(岩手県衣川村)
「とりわきて心もしみて冴えぞわたる衣河見にきたる今日しも」
- やっぴらんど
- 川元パパのホームページ
- 吹上の史跡 西行石(鹿児島県日置郡吹上町花熟里)
「西行法師腰掛石」
国道270号線の小野川にかかっている花見橋から花熟里に入ると、西行坂といわれる坂がある。
その中程の東側に、「西行法師腰掛け石」はある。
「史話・民話」−吹上の民話より−
平安時代の歌人西行法師が諸国遍歴の途中、この石に腰掛け、折から咲いた藤の花を眺めていると、鎌と枴(おうこ)を持った童子が通りかかった。
法師
「童子、どこへ行く?」
童子
「冬草の夏枯れ草を刈りにいく!」
西行法師はその言葉の意味が判らず、この石に腰掛け休憩していた。
・・・しばらくして。
童子が麦を枴(おうこ)で荷なって帰って来た。
法師
「夏枯れ草とは麦の事か・・」
「童子さえ、かかるゆかしい言葉を使う地、これより旅を続けるなら、どの様な恥をかく事やら。」
法師は、不安になり今来た道を引き返したという。
また、陽に藤の花熟れたる美しい里と詠嘆され「花に染む心のいかで残るらん 捨て果てにきと思う我が身に」と、詠まれた。
- 大場家のホームページ
- 由布岳をめぐる物語(大分県別府)
「豊国の由布の高嶺は富士に似て..」
改め、「駿河なる富士の高嶺は由布に似て..」
- 浜名湖かんざんじ温泉(静岡県浜松市)
- 舘山寺
「館山の巌の松の苔むしろ、都なりせば君も来て見む」
- Hiro's Homepage(長谷川碩氏)
- 西行堂川(愛知県春日井市牛山町)
「名鉄牛山駅を南に進み西行堂川を渡ったところに現在もある春日寺(かすがんじ)に、僧であった伯父を訪ねたことがありました。しかし、その時すでに伯父は亡くなっており、この寺にしばし足をとめその霊を弔ったということです。」
- 山変人
- 瀧山(西蔵王)
又のとしの三月に出羽の国に超えて、たきの山と申(す)山寺に侍(り)けるに、櫻の常よりも薄紅の色濃き花にて、並み立てりけるを、寺の人々も見興じければ
「たぐひなき思ひいではの桜かなうすくれなゐの花のにほひは」
- 「定年後の日々」
- 西行祭(西蔵王)
「たぐひなきおもひではのさくらかなうすくれないの花のにほひ」他多数
- Virtual State穂の国(愛知県東三河地方)
- 瑪瑙寺(赤羽根町)
「文治2年(1186)西行法師が東大寺大仏殿再建の勧進のため奥州に向かう途中、宝玉瑪瑙観音像を納めたと言われている。」
- 千葉県の情報番組Bayline千葉県総合情報番組
- お花見スポット『山田墨染の桜』(千葉県東金市山田)
「西行法師が旅の際に杖として使っていた墨染桜の枝が芽をふいたと言われている。市の天然記念物に指定されている由緒正しい桜。」
- 十和田市立新渡戸記念館(青森県十和田市東三番町)