布引山釈尊寺写真情報


撮影日:  2003/01/18
撮影場所: 長野県小諸市大久保2250
撮影者:  新田 由佳
撮影機:  写るンです
撮影機:  MINORUTA VECTIS2000/22.5-45mmF5.4-6.6
小諸駅の西よりにある行基創建という天台宗の名刹。断崖絶壁にかかる観音堂(重文)に安置されているのが、牛に化身して強欲な婆さまを善光寺に連れていき改悛させたという布引観音様です。(小諸市観光協会HPより)

     中央         長野         上信越
国立府中 −−−> 岡谷JCT −−−> 更埴JCT −−−> 小諸 \6,500-

諏訪湖SA たこ焼き \400-
日本唯一温泉のあるSAです。

「諏訪湖 左」「諏訪湖 右」おまけ 「諏訪湖」中央自動車道諏訪湖SAより


2003年1月18日現在、部分凍結しているようです。


「布引山釈尊寺map」map 「布引山釈尊寺map」

上信越自動車道 小諸IC

「布引山釈尊寺説明板」01 「布引山釈尊寺説明板」


布引山釈尊寺
 「牛に引かれて善光寺参り」の伝説
で知られる布引山釈尊寺は、神亀元年
(七二四)の創建と伝えられています。
 天文十七年(一五四八)、武田信玄が
楽厳寺入道、布下仁兵衛を攻めたとき
に兵火にかかって焼失したのを、弘治
二年(一五五六)望月城主であった滋野
左衛門佐が再建しました。その後も享
保八年(一七二三)に再び野火のために
炎上しています。
 現在ある伽藍の多くは、小諸城主牧
野周防守康明によって再建されたもの
です。観音堂内にある「宮殿」は国の重
要文化財に、また「白山社社殿」は県宝
に指定されています。
中部北陸自然歩道
          環境省 長野県


「布引山釈尊寺入り口」02 「布引山釈尊寺入り口」



「滝1」03「滝1」



「滝2」04「滝2」

滝、全面結氷

「参道」05 「参道」

参道は雪の中

「牛」06 「牛」

牛が居ました

「隧道」07 「隧道」



「宮殿1」08 「宮殿1」



「宮殿2」09 「宮殿2」



「縁起」おまけ2 「縁起」

信州北佐久郡布引山釈尊寺
縁起

牛に引かれて布引の
山に布引く釋尊寺
御寺に詣る人々は
山の縁起をたづね見よ

寺は聖武の御時に
僧の行基が開基より
西行法師も三年へて
晒す御歌を残しけり

そもその昔なつかしく
千曲川辺の赤岩や
信心浅き夫婦等が
世にも稀なる言い傳ひ

或日媼は留守居して
川に布をは晒せしが
一匹の牛現はれて
布をば角にかけり行く

媼驚き後追うて
北へ走れば善光寺
思はず詣る御仏の
光り仰ぎてひざまづく

戻りて仰ぐ布引や
山風時にあれいでゝ
それかと見れば岩上に
晒せし布を吹きつけぬ

今布岩の名もそれよ
取るにすべなき岩壁を
見る/\媼は日を過し
いつか化石となりにけり

翁媼を探しきて
化石となれる悲しみに
岩にまばゆき布見つゝ
烟と遂に消へ失せぬ

後人それを憐れんで
祠を立てゝまつれるか
牛と化せしもありがたや
聖徳太子の観世音

霊験日々に新たにて
光りかゞやく布引の
山の真清水くむ人は
心すまさぬものぞなき

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翻刻ミスがありましたらお知らせ下さい。
自信の無いところが数箇所あります。
info@saigyo.net

「玉砕」10「玉砕」

積雪の為、西行歌碑には到達できず。玉砕
『三年へて折々さらす布引をけふ立ちこめていつかきてみん』
      ・・
の歌碑があるはずでした。
『西行に会いに来ました布引は雪の中だぞいつかきてやる』

「懐古園」11「懐古園」



「懐古館」12「懐古館」



布引山釈尊寺  お守り(小) \300-

懐古園前「草笛」ざるそば   \600-
        きのこ天ぷら \600-

   上信越        関越          圏央
小諸 −−−> 藤岡JCT −−−> 鶴ヶ島JCT −−−> 日の出 \4,600-

横川SA 峠の釜飯 \900-


素材集
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