Title  西行  Author  不明  Description そも/\鳥羽の院のみうちに佐藤兵衞義清とて天下にかくれなきやさしかりける男あり。頃しも三月上旬に殿上へ召され百首の歌つかまつり、其名を梵天にあげぬる。されば寸のとうしみのうちに、百首仕る程の歌の達者なり。君御感ありける。其時大内へ召され歌を仕る。殿上をいでんとせし折節、南殿の御すを吹き上げたるを、義清何となく一目見あげて、煥耀端嚴の裝ひ、開花縁帳の衣の褄、異香の薫じ、柳葉の黛、雪のはだへ、春の花、秋の紅葉にもすぐれたり。翡翠の簪たをやかに、芙蓉の眦、丹花の唇あざやかに、此世のこととも覺えず。義清胸うち騒ぎて家路を忘れ、夢ともなく、鳥羽の宿所へ歸りぬ。呆然として侍りけるが、一日は風、二日は邪氣となやみける。二十日ばかりを過ごし、半死の床に臥し給ふ。忝くも大内へ聞えしかば、我も/\とつかはさる。それにもしるしなかりける。女院、義清は歌の達者なれば、空しくなさん、ふびんなりとて、御所の女房達を召し、かの義清に近づきの人あらば遣はすべきなりと仰せ下さるゝ。女房達申されけるは、これにさむらふそらさへと申す女房達こそ、義清が親しき人にて候へと申さるる。さらばとてそらさへを召し仰せられけるは、汝、義清が宿所へ渡り、風氣の軆くはしく見て參り候べし。若き時の習にて如何なる事か侍る。心をおかず尋ぬべしと仰せられければ、そらさへやがて輿に乘り、彼の宿所へ渡り、女院よりの御使なりと披露する。義清急ぎ出でかしこまる。そらさへあな有難や、御身が道に携はり給はずば、一天の主、女院より御使にあづかるべきか。心を殘さず申し賜るべし。もし又若き時の習ひ如何なることにか侍るとかきくどき問ひければ、義清涙に沈みて御返事にも及ばず。やゝありて申しけるには、既にたう病に犯され、存命今に到りぬ。付と御返事申すべきにもあらず。唯忝き由を御披露にあづかるべしとて涙を流す。其時そらさへ申せしは常の病にあらず、如何樣見たることを忘れん病と申す。そらさへも又戀といふ心にや。さもあらば心深くして叶ふまじ。昔もさるためしあり。天竺に雪と言ひし女は浮世をいとひ、深き山にこも籠りしかども犬にちぎりをこめ、嘆きてかくぞ詠みにける。  あさましや何けだ物にうちとけんさこそ昔のちぎりありとも と悲しみにける。阿育大王の后は、繼子の倶那羅太子を思ひかけ給ひぬ。太子うちとけ給はざれば、深く御怨みて、人に仰せつけて后を害してあり。大王聞召して、大きに逆鱗ありて后を害し給ふ。されば后と太子の御為に、八萬四千の御塔を建立し給ふ。唐の玄宗皇帝の楊貴妃は、一行の阿闍梨になおり、一角仙人は、玉女に近つき一期の行業に失ふ。我朝の志賀寺の上人は、京極の御息所を、志賀のはなぞの花見に御出の時、車の物見より御息所の御姿を一目見奉りて思ひとあくがれ、御車の歸りけるに御跡につきそひて、恐ろしけれども都まで御供して中門に立たれたり。女房達如何なる人ぞと仰せられけれども物もいはず。やゝありて上人曰く、我は志賀寺の上人なり。御息所を一目見奉り、その思ひや忘れ難くてこれまで參りたると披露申されける。御息所聞召し、さやうに上人という人の來たり給ふはよく/\の心なるべし。人の思ひおきたる程の恐ろしきことはなし。さらばひがくしまで召して、御手をあげてかへさんとて南面のひがくしの前々へ召されて、御簾の内よりさしもいつくしき御手を出し給ふ。上人これをなさけとして歸り給へと仰せければ、上人御手をとらへつゝ御なさけのわりなき程を觀じ、涙にむせびつゝ、時しも春の初子なるに思ひつらねてかくばかり  初春の初子や今日の玉椿手にとるからにゆらぐ玉の緒 と詠じ給へば、御息所もあはれに思召して詠み給へり。 よしさらば誠の道のしるべして我を誘へゆらぐ玉の緒 と御返事ありけり。上人忝き心ざしを感じ、それより志賀寺へ歸り、いよ/\道心おこし、御息所をも佛になり給ひ候へと祈り給ひ候へば、まことのその報にや、御息所も有難き成佛の本意を遂げ給ふ。三河のしゆく四郎さだもりは赤坂の遊君に別れて道心をおこし、入唐渡天をとげ、石橋をわたりぬ。弘法より後この石橋をわたると聞えぬ。柿本の木僧正、染殿の后を戀ひ、みたらし河にみそぎして青き鬼とぞなり給ふ。伊勢の齋宮は中將あやまりて夢かとわきかね、その他、山谷の衆鳥、江河のうろくづまで、妻こひかぬるさを鹿に至るまで、此道に命を失ふ。などや何事のあるとも忝く女院仰せ下さるゝに、御返事申し給へ。然らば心のうちに思ひ候こと一筆申上げ給ひ候へとかきくどき仰せければ、其時義清げにやと思ひけん、硯と筆とを召し寄せ、かうろぎの墨そり流し、淺香山の筆取りいだし、心に思ふ事を一筆書きて引き結び、そらさへに出し、御出のこと今生後生の恐れ、その旨をよきやうに御披露に預るべく候と申しければ、そらさへ大内へ歸りける。さて女院の御前にて義清が風氣の軆をくはしく申し上げ、それに一筆のしるしを申しければ、忝くも叡覽ありて、彼等が命をのぶるやうにと仰せ下され候へと申せば、女院うち笑はせ給ひて、さればこそ、若き時の習、いかさま戀とやらん思ふかとて御文を乞はせ御覽ずれば、よの事にてはなかりける。御身の上と御覽じ給ひて顏に紅葉をちらし、しばしは御返事も大事のことぞかし。誰を思ふとも主と知らず書きける。中頃小野小町とやらんも餘りに心強くてはては由なき有樣どもにて蓮臺野へ自ら行きて身をはたしけるが、最後の歌にかくよむ、  死ぬまでも身をば身こそは思ひけれ自らおくる野邊の野おくり と。かやうに悲しみける。業平も最愛せしかども、はては別れとなりぬ。其他大臣公卿の思ひきて遂にかくなりぬ。されば義清をたすくるやうにはからふべしとて硯を召し寄せて、一筆遊ばして引き結び、そらさへに賜はりける。そらさへよろこびいそぎ鳥羽の宿所へ渡り、女院の御返事とてさし上げたり。義清忝く思ひて三階の棚におき、三度禮して之を開き見るに、その言葉に、天に花咲き地に實なりて、こんよ/\西方極樂世界の阿彌陀の正堂にて、姿ばかりを見すべしと遊ばされたり。さればこそとてふし沈みける。そらさへ此の由見て、さまで御なさけならばはんべるべし。それ大内の曰く、天に花咲きてとは星の出づるをいふ。地に實なるとは露おきてといふ。こんよ/\とは今宵すぎて明日の夜すぎて、その次の夜半八月十五夜なるに、じほふふうふ月なれば、いつも月の十五日に大内の西に阿彌陀堂へ參詣あり。それにて御姿ばかりを見えんと思召す御なさけか、さもあらば明日は待ち給へといひければ、義清有難く思ひて、其夜にもなりしかば、花の如くに出で立ちて、かの御堂に參り、佛殿の後にしのびて待ちにけり。夜の深更に及びてきりどの鳴る音のするを見れば、女房達三十人ばかり玉の輿をかき、女院の御幸なりける。禮盤の際に、御輿を寄せ、禮盤におりさせ給ひて、しばらく念誦ありて、女房達を召して、面白の月や三五夜中の新月の色、まことにあらはす物思ふ者の心いかばかりかと仰せられて、御歌三十首許り遊ばされて、そらさへにそのまゝ出し給ひ候て、輿に召されて還御なり。義清忝なや、さては我等命をのべん爲に、かゝる御なさけよとうれしさ忝く思ひ、十五日毎に御堂へ參詣する。あくる二月の頃まで參詣しけるが、女院、そらさへに仰せけるは、さても義清は未だ御堂へ参詣するかとのたまへば、さん候と申しける。これを取らせよとて短册を出し給ふ。やがて義清につかはす。義清之を見るに言葉を一筆遊ばしたり。不思議やな、我かの道に携はり、多くの詞を見るに、あこぎといふ詞を知らず候。か程の詞をさへ知らずして及ばん戀にあこがるゝこと、是に過ぎたる恥辱なし。さればこそ道心のたねよと元結きり、西方に投げ、その名を西行とつき、修行しけるが、先づ聞ゆる伊勢へ參詣せばやと思ひ、行く程にみわたりのほとりに賤の男牛を牽きて行きけるが、麥を食ひければ、あこぎとてしとゝ打ち、西行不思議に思ひ、如何に此里人は、如何なる事にてあこぎとて牛をば打つぞと言ひければ、賤の男答へて申しけるは、知らせ給はんか。伊勢の國あこぎが浦とはこれなり。昔あこぎといふ者、此浦にてかくして三とせ殺生をせしなり。後にあらはれて、かの沖に沈められ、それより此浦をばあこぎとこそは詠まれたり。  伊勢の國あこぎが浦に引く網も度かさなればあらはれぞする と申し候。さき牛、苗の麥を二度まで食うて候が、今又衾ひ候程に、主に知られては大事と思ひて、あこぎとて打ちて答へん。西行さては女院の仰せけるは此事なり。數重りては此身の大事と思召し、御なさけのまゝに仰せける。煩腦即菩堤、生死即涅槃なり。貴くたのもしく、それより參宮申し、外宮にて郭公なきければ取敢へず  鳴かずともこゝをせにせよ郭公山田の原の杉のむらだち 又内宮にてかくばかり  何をかもおそれこれとは知らねども忝さに涙こぼるゝ とかやうに詠じ、それより下向し、まづ九州へ心ざし筑紫へ下り、七年修行して八年といふに東國へと思ひ、都へ上り、内裏の南の門を通りけるに、有難や女院の御志によりて、佛道修行遂げぬると内裏の方を伏し拜み通りける。折節女院、縁行道して立ち給ひけるに、こゝを通る修行者不審におぼゆる、是を取らせよとて短册を出し給ふ。女房達はしりつき、女院より取りて短册を差し出す。西行不思議に思ひ、笠をぬぐにも及ばず、短册を賜はりいたゞきて、是を見る程に  雲の上昔のことのゆかしさに見し玉垂のうちや戀しき 西行返歌に及ぶべきにあらねども、はや立ち寄りて筆を取り出し、一字なほして參らせける。女房達今の修行者が一字なほしつると申しければ、女院御覧じて歌の心を吟じ給ふ。またかくばかりあそばしける  雲の上昔のことの戀しさに見し玉垂のうちや戀しき となほして參らせけり。さては西行なりとあはれに思召しける。西行これより關東へと心ざし、北の方子供の行方如何になりぬらんと有爲無常の習ひ、若しもはかなくなりなば跡をもとはゞやと思ひ、鳥羽の方へあこがれて行く程に、古住みなれし所を見るに門はあれどもとびらなく、ついぢはあれどもおほひもなし。庭にはえもぎまじりの淺茅原、軒にはしのぶ、忘草、むぐら、朝顏はひかゝり、道を失ふ許りなり。西行うちに差し入りて、こゝかしこを見給へば誰ぞと答ふる者もなし。あはれに思ひ、さて七八年の間にかやうに荒れ果てゝ空しくなりぬやと涙を流し、塀中門を押しあけて會所、主殿へあがり、ここかしこをながめ給ふ。たぞととがむる者もなし。やゝしばしありて、西行の召使ひし、譜代の郎當刑部といふ者、時しも二十五日なれば、主の行方祈らんとて北野へ參詣申すとて主殿へ參り、女房達やましますと二三度よばゝりけれど音もせず。遙かに會所を見ればいづくとも知らん修業者の笠を着、草鞋をはきながら、こゝかしこをながめ歩く。刑部大きに腹をたて、いづくの人ぞ、如何なる修行者なり。とき料などの用ならば臺所へ参り給へ。君の御座ある主殿へ近く來たるは尾籠なり。出さばやと思ひ立ち、修行者はいづくの人ぞと問へば、西行、これは西國修行の者なり、東國へと心ざして罷り下り候が、由ある所と見申して一見の爲と仰せける。刑部、それはさもあれ、かくもあれ、餘りに狼籍なり。笠と草鞋ぬがせ給へと言ひけれども、西行耳にも聞き入れず、ここかしこをながめ給ふ。刑部大きに腹をたて、走りかゝり、持ちたるぶちにて二しと三しと打ち奉る。縁よりしもへつきおろす。西行涙を流し、三代相傳の家人に打たるゝことも出家のいはれなり。まことに子故なり。刑部がひがごとにあらずと思召されて、笠をかたむけ、門前いでむとし給ふ。姫君いそぎ簾中より出で給ひて、障子を押し開け、いかに刑部、いづくへ行くぞと問はせ給へば、刑部畏つて申しけるは、これは北野へ参詣つかまつることの候。御祈の爲にと申せば、姫君、心得ぬことゝよ、刑部は申すものかな。父の御事を思へば、此日頃修行者になさけをかけ申すぞかし。それを知りながら、今の修業者は西國修業と仰せけるに、父の御事をも尋ね申さんと思ひしに、何の僻事ましませば、刑部はなさけなくあたりけるぞ。汝はひとへに父を打ち奉ると思ふなり。怨めしの刑部が振舞やとて倒れ伏し給ふ。刑部肝をつぶして深く恐れ入りて申すやう、これまでとは存ぜず、唯姫君御座所へ往來の人の尾籠なりと申したるばかりなり。御ゆるしなれと申せば、女房達も刑部が姫君の御事を思ふ故なり。ゆるさせ給へと面々にのたまへば、さらばゆるすぞ。今の修業者を呼びかへし奉れと仰せければあかんは君の寵とて直垂のそばをとり、門前へ走り出で西行に追ひ付き奉り、今の尾籠はひらに御ゆるし候へ。姫君の以ての外に御腹立にて、呼び返し申せと候へば、御歸り候へとて御袖にすがり申す。歸らじとは思召せども歸らずばあやしむべしと思ひて、さあらばまづ御身さきに御入り候へとて、刑部を先に立て、塀中門へ入り給ふ。笠をもぬがず、草鞋をもぬがず、雨落ぎはに立たせ給ふ。これより東國へ急ぐ沙門なり。何事にて候。とくとくとのたまへば、姫君出で給ひて、あらはづかしや、修業者のさこそは此家に人もなきと思召すらん。さりながら父におくれて八年、母に離れて三とせにならん。あの刑部一人たのみて候へども、有るに甲斐なき有樣なり。さて/\なさけなく修行者にあたり申しつるよ。家に用ゐる子あれば必ずその家たゝじ、國に用ゐる主あれば必ずその國立たじ。此家にはみなし兒となりて候みづからにゆるさせ給へ。それにつけては西國修行と仰せらるゝ。九州九ケ國のうちに、佐藤兵衞義清、法名西行と申す人にあはせ給ひて候か。戀しき御ことなれば夜晝その便を祈り候。語らせ給ひ候へとて袖を顏にあてゝ泣き給へば、さては北の方ははかなくなりけるにやと、父母おくれてひとりすむ身と、みなしごの心になほも父かと問ひけるよ。それとも知らば如何ばかりよろこぶべきとむざんやと思ひ、されども心弱くては叶ふまじ。早あふまじき、はかなくなりたる由をいはゞやと思ひ、声をあらけなくいたして、笠をかたぶけながら、これは九州を七八年修行して候へども、義清とも西行とも聞かず。去年の秋の頃豐後の國とはしまの郷を通りしに、新しき卒塔婆あり。立寄り見れば、諸行無常の文を書き、下の文に西行とあり。これは聞きつるやうなるとあたりの人に問ひければ、都の人とて九州を修行せし西行といふ人、此四五日が先に此野にてはかなくならせ給ひつると語る。餘りのいたはしさに其日は逗留申せしなり。其人の御事ならば、今生にての對面は叶ふべからず。御跡をとはせ給へとのたまへば、姫君聞召し、これは夢かうつゝかや。幻かとて倒れ伏し、流涕こがれ給ふ。女房達も刑部も袖をぬらさんはなかりけり。西行も笠の下にて衣の袖を顏にあて、いまだ年にも足らず、今年九つになると覺ゆるが、か程に懇に親のことを悲しみけるよ。子ならずば何れの者か、か程に悲しむべきぞとて、袖をしぼり給ふ。姫君やゝありて簾中へ入らせ給ひて、唐櫃の蓋に衣と袈裟と人丸の繪と入れさせ給ひて涙と共に仰せられけるは、我母の父の爲にとてこしらへおかせ給ひて、いづくよりも便りあらば參らせよと仰せありしかば、一昨年の秋の頃はかなくならせ給ふ。袈裟はみづからがひとつにこしらへおきて御行方あらば參らせんと思ひしに、さてははかなくなり給ふよ。此人丸の繪は歌の道にもかゝらせ給ひて、さしも祕藏しが故なき戀路にあくがれて遂に道心をおこし給ふとて、忍び出で給ひしなり。いづくにも西行といふ人ましまさば參らせ給へ。若し又今御申し候如くはかなくなり給はゞ何れそれを召されて御覽ぜん度には念佛申して父母を弔ひて賜り候へ。まことに父の再び來たり給ふと思ふなり。むつましの修行者とて御そばにおきて倒れ伏し泣き給ふ。如何に賤の男卑しき者までも袖をぬらさぬといふ事なし。況んやまさしき父西行の心のうち思ひやられてあはれなり。女房達も刑部も涙を流しける。西行仰せけるは、よその御事ながら承り候へば、そゞろに涙にむせびて候。さてはみなしごにて御入り候つるよ。但し百年富貴も夢のうちの如し。一旦の榮華も風の前の塵、待たざるに老來、古墳是多く少年墳と候へば、たとへそひはてんずるといふとも、一昔を過ごすべからず。是を道心のたねと菩提の御願あるべし。さきの衣と袈裟はあるにまかせて身にまとひ候。誰にも御取らせあるべし。人丸の繪ばかり形見に賜りていづくにても念佛申して參らせ申さん。東國へ急ぎ候沙門なりと、いとま申し出で給へば、姫君一しほ御なつかしくさむらふものかな。殊に父の行方を委しくしろし召されて候はゞ、今宵はこゝに御とゞまりありて、なき人の跡をも弔はせ給へと泣きくどき給へども、西行耳にも聞き入れず、塀中門を出給ふ。姫君仰せけるは、いかに刑部、古の修行者はかやうに申せば皆笠をぬぎ、草鞋をもぬぎ、禮をもいたし給ふが、今の修業者はさらに笠をもぬぎ給はず、不審に覺ゆるなり。今一度呼び返し參らせよ。御笠とりて見奉らんと仰せければ、刑部いそぎ門前に出でゝ、いかに御修行者姫の召し候。御歸りあれと申せば、西行東國へ急ぎ候。日も晩に及び候。又この後こそとて出でんとし給ふを刑部申しけるは、幼い人の御生憎にて候。さりとては御歸り候へとて、御袖にすがりければ、力及ばず歸り給ふ。又雨落ぎはに笠をもぬぎ給はずして、何事にて候。これは東國へ急ぎ參り候修行者なり。とく/\とのたまへば、姫君する/\とよらせ給ひて御笠をおとし給ひて、今宵は御とゞまりあれと悲しみ給へば、西行人に見えじと袖を顏にあて、塀中門をいで給ふ。姫君は幼くて別れ給ひし程に見知り給はねば、刑部見知り奉り、急ぎ庭へ飛び下りて頭を地につけて、三代相恩の主君を、存じ申さで打ち申し候つる事のあさましやな。知らんことは神も佛も御ゆるし候へ。さりとては御覽あれと悲しむ。其時西行人たがひなり。更々さることなしとて出で給ふ。姫君やがて御心得ありて、なさけなの御事や。さては父にてまし/\けるや。御とゞまりあれと泣く/\走り下りてすがり給ふ。西行これは人たがひなり。更々さることなしとのたまへば、姫君涙にむせび泣く/\仰せけるは、御なさけなの次第や、佛もかやうに説き給ふ。諸沸念衆生、衆生不念沸、父母常念子、子不念父母と、かやうに説き給ひて、沸は衆生を念じ給ふ、衆生佛を念ぜず、父母常に子を思ひ給へども、子は親を思ひ申さずとこそ見えて候へ。親の身として心強くわたらせ給ふと申しければ、それはさも候へ。西行なほさる事なしとのたまへば、姫君これに御實證のさぶらふとて、御袂より繪圖を取り出し、母御父の御事を悲しみさぶらひし時、俗にての御姿、出家にての御姿を繪圖にうつして賜りて候。戀しき時はこれを見てこそなぐさみ候へ。これに少しも御違ひなきものを、なさけなやとて出し給へば、西行力に及ばず、此繪圖をとりて見給へば、左の目の下にほうくろの三つあるまであざ/\とうつしたる。さては母のかくまで教へうつさせけるよと思し召し、墨染の袖をぬらしける。今は何をかつゝむべき。我こそ汝が父西行なり。さらば今宵はとゞまりて、北の御方を弔ひ参らせんとて歸り給へば、姫君も女房達も刑部もよろこぶ事限りなし。かくて四五日逗留ありて刑部餘りの御事に髪をそりて御供申さんとなげき申せば、さらば出家せよ。ひとへに出家の功徳は、若し人ありて三十三天の高さにこん%\の七寶の塔をつくりて諸佛を供養するよりもなほすぐれたりとて剃刀取り出し、流轉三界中の文を唱へて髪そりおとし、法名を西住とつけ給ふ。姫君肝をつぶし、我も髪をそりいづくまでも御供と泣き給へば、汝は女子なればいかゞ旅に出づべきとて御文をこま%\と遊ばされて、ゆかりの人を以て女院へ申上げ給へば、義清がむすめならばやがて賞翫すべしとて、車御むかひに裝束そへて出し給ふ。姫君やがて大内へ參り給ふ。女院御覽じてまことに義清がむすめにてありけるよ。見るに心ありて御なさけをかけさせ給ふ。成人するに随つて心ばへ人にすぐれてやさしけれ。詩歌管絃にも暗からず歌道にも聞え給ひぬ。又後には内侍のすけとなり給ふ。父の本領に所知をそへて女院より下さるゝ。いみじく榮え給ふ。是も親孝行の志深き故なり。深慮の御惠まことにまのあたりに貝えたり。誰も/\親孝行の心をもつべし。さても西行はいよ/\道心をおこし諸國を修行し、こゝかしこにて歌を詠み給ひしなり。その言の葉今に八代集に入れられたり。歌道に心をかくる人は、西行の歌とてもてあそぶ。まことに戀路の故なり。煩悩即菩提、生死即涅槃、これなりと道心堅固の名をあげ給ふ。西行の物語  元和四戊午年十月七日  右以筑土鈴寛氏藏本書冩畢、昭和十五年四月。  End  解題                 久曾神 昇 筑土氏乃至市古氏の詳しい研究が間もなく発表せられるであらうから、茲には詳細は差控へる。成立年代は多くのお伽草子と同樣に不明で、唯室町時代後期の作であらうと推定せられるのみである。奥に「元和四戊午年十月七日」とあるが(漠字に改めた)、それは成立年代ではなく、現存本の書冩年時を示すものと思ふ。内容は一讀直ちに知られる如く、西行の戀愛出家譚である。この話は、歌学書に古くから見える譚を西行に作りかへたものである。「芹つみし昔の人も我がごとや心に物はかなはざりけむ」の歌や「はつ春のはつ子の今日の玉箒手にとるからにゆらぐ玉の緒」「まぶくだが修行に出しふぢばかま我こそぬひしそのかたばかま」等に就いて、綺語抄、俊頼髄腦、奥義抄、和歌童蒙抄、袖中抄以下に幾度となく繰返されてゐる。身分の低い男が位置の高い女を戀ひ、願が叶はず病氣になり、遂に相手の女の知る所となり、色々の理由動機によつて出家するといふのであり、高貴の女は、或は女院といひ、或は京極御息所、又猛者の娘などであり、男は志賀寺の僧のこともあり、又禁中を掃除する者であり、猛者の家來であり、番人である。それが女院と西行との関係に改められたのである。而してそれは西行墨染櫻の方にも影響している。この作にはなほ「阿漕」の話も折り込まれてゐるが、それは源平盛衰記にある話に基いたのであらう。  底本::   著名:  西行全集 第二巻   著者:     校訂:  久曾神 昇   発行者: 井上 了貞   発行所: ひたく書房   初版:  1981年02月16日 第 1刷発行  入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力機: Sharp Zaurus igeti MI-P1-A   編集機: MICRON AT 改 166MHzpentium 2GbyteHDD   入力日: 2001年08月25日  校正::   校正者:   校正日: