Title  撰集抄 (元祿十四年板本)  Description  序  生死の長き眠りいまだ醒めやらで。夢にのみほだされつつ。水の面の月を實とおもひ。鏡の内のかげを。げにとふかく思入りてあけくれは。只妄念の心のみうちつゞきて。生死の船をよそへずして屠所のひつじの歩は。我身の外にもてはなれ。鳥部舟岡のけぶりをよそにみて。過ぎにし方四十餘年の霜をいたゞき。行末しらずけふしもやあるらむ。しかれば同じ夢のうちの遊にも。新舊の賢き跡を撰求めける亊の。言の葉を書集め。撰集抄と名付けて。座の右に置きて。一筋に知識に頼まんとなり。卷は九品の淨土に思宛。十に一をもらし。亊は八十隨好に思よそへて。百に廿を殘せり。抑凡夫の習。明眼しひて眞月を見ず。心老いて。斷妄の利劔おこさざる物なり。されば偏に冥助をあふぎ奉らんが爲に。卷毎に神明の御亊をしるし載せ奉り侍り。  第一 一 増賀上人の亊 慈惠大師御弟子  昔増賀聖人と云ふ人いまそかりけり。いとけなかりけるより。道心ふかくて。天臺山の根本中堂に。千夜籠りて是を祈り給ひけれども。なにを實の心や付きかねて侍りけん。或時たゞ一人伊勢太神宮に詣でて。祈請し給ひけるに。夢に見給ふ樣。道心を發さんと思はゞ。此の身を身とな思ひそと。示現を蒙り給ひけり。打驚きて思す樣。名利を捨てよとにこそ侍るなれ。さらば捨てよとて。き給ひける小袖衣。皆乞食共に脱ぎくれて。單衣なる物をだにも。身に掛け給はず。赤裸にて下向し給ひけり。見る人不思議の思ひをなして。物にくるふにこそ。見めさまなどのいみじさに。うたてやなど云ひつゝ。打ちかこみ見侍れども。露心もはたらき侍らざりけり。道々物を請ひつつ四日といふに山へ登り。本住み給ひける慈惠大師の御室に入り給ひければ。宰相公の物に狂ふとて。見る同朋もあり。又かはゆしとて見ぬ人も侍りけるとかや。師匠の大師ひそかに招き入れて。名利を捨て給ふとは知り侍りぬ。但かくまでの振舞ひ侍らじ。いや只威儀を正して。心に名利を離れ給へかしと諫め給ひけれども、名利をながく捨てはてなん後は。さにこそ侍るべけれとて。あら樂しの身や。おう/\とて。立走り給ひければ。大師も門の外に出で給ひて。はる%\見送り侍りて。すゞろに涙をながし給へり。増賀はつひに。大和國多武の嶺とぃふ所にさそらへ入りて。智朗禪師の庵の。かたばかり。殘りけるにぞ居をしめ給へりける。げにもうたてしきものは。名利の二つなり。正しく貪瞋癡の三毒より亊起りて。この身を實ある物と思ひて。これを助けんために。そこばくのいつはりを構ゆるにや。武勇の家に生るゝものは。胡録の矢を早くつがひ。三尺の劒を拔きて。一陣を懸けて命を失ふも。名利勝他の爲なり。柳の黛細くかき蘭麝を衣にうつし。秋風の名殘を送る姿ともてあつかふも。名利の二に過ぎず。念珠を手にくるも。詮は只人に歸依せられて。世を過ぎむとのはかりごと。或は極位極宮を極めて公家の梵筵に列り。三千の禪徒にいつかれんと思へるも。名利の二を離れず。この理を知らざる類は。申すにおよばず。唯識止觀に眼をさらし。法文の至理を。辨へ侍る程の人たちの。しりながら捨侍らで。生死の海にただよひ給ふぞかし。誰々も。これをもて離れんとし侍れど。世々を經て思ひなれにし亊の。改めがたさに侍り。しかあるにこの増賀上人の名利の思ひを。やがて振り捨て給ひけん。有り難きには侍らずや。これ又伊勢大神宮の御助にあらずば。いかにしてか。この心もつき侍るべきや。貪瞋癡の村雲ひき蔽ひ。名利の常病なる身の。五十鈴川の浪に清がれて。天照太神の御光に消ぬるにこそと。返々忝なく貴く侍り。この亊いつの世に忘れ奉るべきや。  *工亊中   第一 七 新院の御墓讚州白峯に有之亊  過ぎにし仁安の比。はる%\西國修行つかまつり侍りし次に。讚州見を坂の林と云所に。しばらく住み侍りき。深山邊のならの葉にて庵りむすびて。つま木こりたく山中のけしき。花の木ずゑによする風。誰訪へとてかよぶこ鳥。よもぎのもとのうづら。日終にあはれならずとにふ亊なし。長月のあか月。さびたる猿の聲を聞くに。そゞろはらわたを斷ち侍り。かかる栖は後の世の爲としも侍らねども。心そゞろにすみておぼゆるにこそ。かくても侍るべかりしに。うき世の中には。思をとどめじと思ひ侍りしかば。立てばなれなんとし侍りし程に。新院の御墓所をおがみ奉らんとて。白峯と云ふ所に尋ね參り侍りしに。松の一村しげれるほとりに。くぎぬきしまはしたり。是ならし御墓にやと。今更かきくらされて物も覺えずまのあたり見奉りし亊ぞかし。清凉紫宸のの間にやすみ給ひて。百官にいつかれさせ。後宮後房のうてなには。三ての翡翠のかんざしあざやかにて御まなじりにかゝらんとのみ。しあはせ給ひしぞかし。萬機のまつりごとを。掌ににきらせ給ふのみにあらず。春は花の宴を專ににし。秋は月の前の興つきせず侍りき。あに思ひきや。今かゝるべしとは。かけてもはかりきや。他國邊土の山中の。おどろのしたにくち給ふべしとは。貝鐘の聲もせず。法華三昧つとむる僧一人もなき所に。只峯の松風のはげしきのみにて。鳥だにもかけらぬありさま。見奉るにすゞろに涙を落し侍りき。始あるものは終りありとは聞き侍りしかども。未だかかるためしをば承り侍らず。されば思をとむまじきは此の世なり。一天の君。萬乘のあるじも。しかのごとく苦みをはなれまし/\侍らねば。せつりもしゆだもかはらず。宮もわらやも共にはてしなきものなれば。高位もねがはしきにあらず。我等もいくたびか。彼の國王ともなり給ひけんなれども。隔生即忘して。すべておぼえ侍らず。只行きてとまりはつべき。佛果圓滿の位のみぞ。床しく侍る。とにもかくにも。思ひ續くるまゝに泪のもれいで侍りしかば。  よしや君昔の玉の床とてもかゝらん後はなにゝかはせん とうちながめられて侍りき。盛衰は今にはじめぬわざなれども。ことさら心警かれぬるに侍り。さても過ぎぬる保元の初の年。秋七月の比鳥羽の法王。はかなくならせ給ひしかば。一天村雲迷ふ。花の都くれふさがり侍りて。含識のたぐひうつゝ心も侍らず。なげき身の上にのみ。つもりぬる心地どもにておはしましし中に。僅に十日のうちに。主上上皇の。御國あらそひありて。上を下にかへし。天をひびかし地をうごかすまで。亂れたゝかひ侍りて。夕に及びて。大炊殿に火かゝりて。黒煙おほへりしに。御方は軍勝ちに乘り。新院の御方の軍破れて。上皇宇治の御馬に召されて。いづちともなく落ちさせ給ひしを。兵者追懸け奉りていさゝかも恐れ奉らず。射まいらせ侍りしを見たてまつりしに。よしなき都に出で返々心うく侍り。さて後にこそうけたまはりしが。新院はある山の中より求め出し奉りて。仁和寺へうつらせ給ふ。宇治左府は。矢に當らせ給ひて御命終らせ給ひぬれば。奈良の京。般若野の五三昧に。土葬し奉りけるを。勅使たちて。死がひ實驗の爲に掘りおこし奉りけると承はりしに。あはれ六借しき世の中かな。誰か知らざるうき世はかかるべしとは。ことにあやうくはかなき身をもちて。したりがほにのみ侍りて。むなしく明暮過して。無常の鬼にとらるゝ時。聲をあげてさけべども叶はずして。惡趣にのみ經めぐり侍らんは。いとゞかなしかるべし。盛衰もなく。無常もはなれ侍らん世なりとも。佛の位目出度きと聞きたてまつらば。などかねがはざるべき。況んや盛衰はなはだしきをや。無常すみやかなるをや。たゞ心をしづめて。住亊を思ひ給へ。すこしも夢にやかはり侍らず。悦も歎も。盛なるも衰ふるも。みな僞のまへのかまへなるべし。  *工亊中  第三 五 西道法師の亊  過ぎにし比。紀伊國ゆらのみさきをすぎ侍りしに。なぎさ近く釣船漕ぎ寄せて。四十にかたぶき。五十斗にみへ侍る男の舟の内になき居たる侍り。何なる態を愁ふらんと哀に覺えて。深く水におり立ち船ばたに取りついて。いかに何をか歎くらんと云ふに。此の男泣く/\聞ゆる樣。是はつりする者に侍り。只今此の浦にて。殊に大きなる龜のつられて侍りつるを殺さんとし侍りつるに。龜左右の眼より紅の涙をながして歎くかたちのみへ侍りつれば。あまりに悲しみて。ゆるして本の所にはなたんとし侍りつる。此のつれの釣人刀にて目をつきて侍りつれば。くるめきまよゐつるが。餘に身にしみて。悲しく覺え侍るとて。舟よりとびおりて濱にあがりてねがはくはかしらおろしてえさせよと云ふを。いかゞとためらい侍りしかども。げにと思ひとりて見へ侍りしかば。かみをそりて侍りき。さて我れにともなふべしとて。それより具足して。高野粉河まはりありきて。つゐに都にのぼりて。西仙聖人の庵りに引き付け。發心の因縁など語り奉つり侍りしかば。哀れなる亊かな。堺は南西に替るといへども。かれも釣人。我れ等もつりうどなる哀れさよ。よし/\是れにおはせよとて。行すまして侍り。今に目出度き後世者にて。西道となん云ふめり。物の命を惜しむ亊の。かはゆくも覺へず。生るる類をころすが。まことの罪ともしらざればこそ。四十あまりまで網引き釣りし侍りけめと。いかなる龜の今更よりきておどろかぬ心をもほしけん。血のなみだをながすわざなどは。實に時にとりて。身にしむ程の亊なれども。忽ちうき世をこりはてける心は。誰ばかりかはいまそかるべきと。げにたゞ亊とも覺えず。佛菩薩のいさゝかのたよりにて。善種を顯はすべき人と。見そなはせ給ひて。龜とけしてつられましますにやとまで覺えて。其の亊となく。なみだのこぼるるに侍り。地に倒るる物は。地に依りて立つと云ふ亊あり。實なるかなやと覺えて侍り。つり人となりてたうれはてぬと見べし人の。釣りに依りて生死の苦海を立ち離れぬる。されば我れ等は何によりて倒るともなければ。又何のゆへに立つべしとも覺えず。あはれたふるる所をしりて立ちなばやと覺えて侍り。抑々生ける身の。命を惜しむ亊おしなべて皆等しかるべし。只宿報つたなくして。鳥獸と成りぬれば物をいはぬにばかにされて。思ふ心のうちをもしらずして。是れをころして我が身の世を渡らん亊。返々おろかに無慙なるべし。しかのみならず是を食にもちいる又放逸なり。まさしく生るる物なりしをと覺えたり。しかし鳥獸のたぐひを。口にふれつらんには。是を食せば其の殺する罪。食する罪皆積り集りて。此の世はや過ぎ侍らん亊のかなしさよ。只物を多く食ひていたづらに過ぐるだにも。おそろしきにや。されば舎利弗は。一口二口のとの給ひ。龍樹菩薩は。粮すくなくてあじ多し。いかにもつつしめと侍り。佛は一粒の米をはるかに。百のこうを。用ゐたりと侍り。さ樣に多くの煩ひ。積り重ぬる米を。日のうにちいくらばかりか食し侍らん。是れをくひ身を助けて。いくらばかりの聖教をか開き見つると。返々あさましく覺え侍り。  *工亊中  第四 八 中納言の局小倉山の麓に住亊  待賢門院に中納言の局と云ふ女房おはしましき。女院におくれまにらせられて後。さまをかへ小倉の山のふもとに。行ひすましておはし侍りきとうけたまはりしかば。長月の始めつかた。かの御室にたどる/\まかりにき。草ふかくしげりあひて。行かふ道も跡たえ。お花くず花露しげくて。軒もまがきも秋の月すみわたり。前は野邊。つまは山路なれば。虫の音物あはれに、あい猿の聲殊に心すごし。荻の上風枕にかよひ。松の嵐ねやにおとづれて。心すごきすみかに侍り。さてかの局に對面申したりしに。初の詞に。浮世を出で侍りし初めつかたは。女院の御亊の。常には心に懸りて。哀いかなる所にか。いまそかるらんと悲しく覺え。誰々の人も戀しく覺へて侍りしかども。いまはふつに思ひわすれて。露ばかり歎く心の侍らぬなり。さすが行ふかひ侍ればや。憂喜の心に忘られぬるなるべし。おろかなる女の心だにもしかなり。年久しく世を背き。實の道に思ひ立ちて。月日重ね給ふ。そこの御心の中。いかにすみて侍らんとぞの給はせし。ありがたかりける心ばせかな。誠に憂喜心にわすれぬるは。則ち是禪なりと。昔の智者の詞なれば。いかにも是を忘ればやと思ひ侍れど。やゝ心と心に叶はでとめやらぬに。此の局のわすられけん。げに比の世一の宿善にもよも侍らじ。二三四五の佛の御前にて。多くの宿善をうへ給へるか。聊かの縁によりて。おひ出でぬるなるべし。我はつたなしといへども。世を背く亊も。彼の局よりは遙のさきなり。又都べて名利をおもはず偏へに佛の道にこそ思ひ侍れども。はや彼の局の心ばせにも。おとり侍りぬるはづかしさよと思ひて歸る道すがら。又案ずるやうは。はづかしと思ふこそ。憂喜の忘れぬなれと思ひよりぬ。返りて心持ちたつれば。さては又いかゞせんと思ひかねて。小倉山を出で侍りぬ。其の後三とせ經て後此の局。をもく煩ふよしうけたまはり侍りしかば。訪ひと聞えんとて罷りたりしかば。はやいき終りにけり。西に向つて掌を合はせ。威儀を亂さずして終りにけり。愛喜の心に忘れたりと侍りしは實にて侍りけりと。思ひ定めて泣々歸り侍りにき。  *工亊中  第四 十三 江口遊女の亊  治承二年長月の比。或聖とともなひて。西國へおもむきしに。さしていづくとしもなきままに。日のかたぶくにもいそがずして、江ロ桂本など云ふ遊女がすみ家見めぐれば。家は南北の岸にさしはさみて。心は旅人の。しばしの情を思ふ樣に。さもはかなきわざにて。さてもむなしく此の世をさりて。來世はいかならん。是も前世の遊女にて有るべき。宿業の侍りけるやらん。露の身のしばしの程をわたらんとて。佛の大にいましめ給へる態をするかな。我が身一の罪は。せめていかがせん。多くの人をさへ引損ぜん亊いとどうたてかるべきには侍らずや。しかあれども。彼の遊女の中に。多く往生をとげ。浦人の物の命を斷つものの中にあつて。終にいみじき侍りしかば。さればいかなる亊ぞや。前世の戒行によるべくは。なにとてか今生にかかるうたてき振舞をすべきや。又此の世のつとめによるべくは。あにかれら往生をとげんや。是を以て閑に思ふに。只心によるべきにや。露の命をつがんとての。謀り亊に侍れば。心にもあらず。是に交り。彼れにともなへども是に心をうつさず。彼れに心をしめて。常に後の世の亊を思はん人は。口に惡しき言葉をはき。手にわろき振舞ひ侍れども。心うるはしく侍らんには。さうなりけるにや侍らん。或る聖と打語りて。其の里を過ぎなんとするに。冬を待ちえず。むら時雨のはげしくて。人の門に立ちやすらひて。内を見入り侍るに。あるじの尼の。時雨のもりけるをわびて。板を一ひらさげて。あちこち走りありきしかば。何となくかく。  しづがふせやをふきぞわづらふ とうちすさみたるに。此の尼さばかり物さはがしく。走りあわつるが。何とてか聞きけん。板をなげすて  月はもり雨はたまれとおもふには と付け侍りき。さも優に覺えて見過ごしがたかりしかば。彼の庵に一夜とまりて。連歌などし侍りて。あかつきがたに此のつれたる。僧かく。  心すまれぬ柴のいほかな と付け侍りたるに。あるじ又。  都のみおもふかたとはいそがれて と付け侍りし亊の。げに胸をこがして覺え侍りき。六十餘州さそらへて。多くの人々見なれしかども。是程のものかくまでなさけは。えたる物は侍らざりき。哀れおのこにしあらば。とかくこしらへていざなひつれて。うへをなぐさむる友にもしてなん。いとどなつかしくぞ侍りし。此のつれの聖は立ち出づる道すがらも。さも戀しき。江口の尼かなとぞ申し侍りし。  第四 十四 嚴嶋并宇佐宮の亊  安藝の嚴嶋の社は。後は山深く茂り。前は海左は野。右は松原なり。東の野の方に。清水きよく流れたり。是をみたらゐと云ふ。御社三所におはします。又すこし前の方に引きのきて。南北へ三十三間。東西へ二十五間の廻廊侍り。しほのみつ時は彼の廻廊の板敷の下まで海になる。鹽の引き時は。白すなご五十町ばかりなり。しかあれば鹽のさしたる時まいれば。船にて廻廊まで參るなり。けだかくいみじき亊。たとへもなく侍り。但しいかなる御亊やらん。御簾の上には御正軆の鏡を懸けまいらせで。御すより下にかけまいらするなり。彼の御神は女房神にて御座すなれば。かくはならはせるやらん。大方は御社は山上にあがり。廻廊は平地にあり。東西南の三方晴れ渡りて。殊に心もすみ侍り。所にししをからざれば。御山には小鹿鳴き草に露落ち。野路東なれば蟲の聲盛りに侍り。何心なき人も。此の御社にては。心のすむなるとぞ申し傳へて侍り。筑紫の宇佐の宮と申すは。山城の男山の氣色にたがはず。長山四方に廻りて。松風心すごく。旅猿のこゑ殊に哀れなる所なり。山のそびへるすがた。木の生ひたる有樣。偏に補陀落山かと疑ふ。中にもし水あり。みたらゐとは是ならん。何わざにつけても心すみぬべき御社なり。空也上人にむかひて。御姿をあらはし。弘法大師に向ひて。正直理世を述べさせまし/\けん。神言神軆思出して。涙いよ/\所せきてぞ侍り。かくて西の國は。金かみさきまで修行し侍りき。それより歸りさまに。播州小屋野と云ふ所を過ぎ侍りしに。齡六十にたけたる僧の。かみはくびの程までおひさがり。きる物はかたのごとくきなし。肩にもかけず莚をき。やせおとろへて。かほよりはじめて足手まで。どろかたげなるがさゝらをすりて心をすまし。うそうちふきて。人に目も懸けぬ僧一人侍り。ことざまありがたく覺えて。近く居寄りて。何わざをしたまふにかと。尋ね侍りしかば。編木するなりとの給はするを。それはしかなり。法文いかに。我も佛道に志深く侍り。心のはるけぬべからん亊。一詞の給はせよとせめしかば。覺知一心。生死永歌とて。その後は又の給はする亊もなくて。にげ去り給ふを。なを床しく侍る。と涙をこぼしてもだへしかば。義想既滅除審觀唯自想とて。遙に逃げさり給ひぬ。名殘多く侍れ共かひなし。其の里人に。此の聖の有樣を委しく尋ね侍りしかば、或人の語りしは。いとき物もほしからず。適々得たるをも何とかし給ふらん。程なくうしなひ給ふ。明暮ささらをすりて。獨うた打ち歌ひてなん。あちこち思ひありくに待りと答へ侍り。げに道心ふかき人なめり。かほの姿よりうちの心まですみてぞ覺え侍る。げに一心と知りなん後は。何とてか生死には輪廻し侍るべきと。返々床敷く覺えて侍り。世の末にも。かかる道心者もいまそかりけり。  第四 十五 春月參詣の亊  おなじ比。ならの京巡禮して。春日の御社に參り侍れば。春日野のけしき二基の塔の有樣。馬出しの橋を足もとゞろにふみけん。若紫のゆかりあれぼ。すみれつむなるをささ原。玉ざさの上には。玉あられつもり。ひろはん亊もかた岡の。松のみどりは君のために。千代の色をやこめつらん。立寄りとりてみんとすれば。荻の下露袂に落つる色は紅なり。お花くず花。露ちりて。山立ちのぼる月かげの。千里をかげて照らすに。入唐して仲丸が。ふりさけみけんことの葉。思ひ出でて。殊に哀になん。漸くわけ入れば。椙村高くしげりて。六の道わかれたる。六の道のちまたにこれをきせり。正しき道や是ならん。善趣の橋をすぎぬれば。御社も漸く近付きぬ。四の御殿三の廊。二階の樓門そばだてり。より/\社壇にただずめば。般若理分の聲すごく。しば/\寶前にさすらへば。瑜伽唯識の聲たえもせずぞ侍りし。貴き亊詞に述べがたくぞ侍る。かくて俊惠の住み給ふ東大寺の麓に尋ねまかりて。何となく歌物語し侍りしかば。いかなる歌の讀みたると問ひ給ひしかば。讚岐國多度郡に。かたのことく庵を結び侍りしにかく。  山里に浮世いとはん友もがな。くやしく過ぎしむかし語らん 又難波の渡を過ぎ侍りし時。  津の國の難波の松は夢なれや。蘆の枯れ葉に風わたるらん と讀みて侍ると申ししかば。其のむかしも人にすぐれて。讀み給ひしかども。猶々げにゆゝしく讀み出で給ひけりと。貴く徳を蒙り侍りき。か樣の亊書きのぶるは。憚りも多く恐もしげけれども。今は身の佛道に思入りぬる上は。かならずしも人のあざけりを。顧みるべきにあらざれば。有りのままに俊惠の詞を載すに侍り。かゝる亊在俗の時ならましかば。慢心も侍り。よろこぶ心も有りなまし。今はすべて是等何共覺えず。さすが佛法の力にこそ侍らめと覺え侍り。  第四 十六 高野參の亊付骨にて人を造る亊  同じき比。高野の奧に住みて。月の夜比には。或友達の聖ともろともに。橋の上に行き合ひ侍りて。ながめ/\し侍りしに。此の聖京になすべき態の侍るとて。情なくふり捨てのぼりしかば。何となくおなじくうき世をいとひ。花月の情をもわきまへらん。  友も戀しく覺えしかば。おもはざる外に。鬼の人の骨を取集めて。人に作りなす樣。可信人のおろおろ語り侍りしかば。其のまゝにして。廣野に出て。骨をあみ連ねて造りて侍れば。人の姿には似侍りしかども。色もあしくすべて心もなく侍りき。聲は有れども。絃管聲のごとし。げにも人は心がありてこそは。聲はとにもかくにもつかはるれ。たゞ聲の出づべき。はかりことばかりをしたれば。ふきそんじたる笛のごとし。大かたは是程に侍るもふしぎなり。扨も是をば何とかすべき破らんとすれば*[せふ]業にやならん。心のなければ只草木とおなじかるべし。おもへば人の姿なり。しかしやぶれざらんにはとおもひて。高野の奧に。人のかよはぬ所にをきぬ。もしをのづからも。人のみるよし侍らば。化物なりとやおぢおそれん。さても此の亊不思議に覺えて、花洛にいでてかへりし時。をしへさせ給へりし。徳大寺へまいり侍りしかば。御參内の折ふしにて侍りしかば。むなしくまかり歸りて。伏見前中納言師仲卿の御もとに參りて。此のことを問ひ奉りしかば。何としけるぞと仰せられし時。其の亊に侍り。廣野に出て。人もみぬ所にて。死人の骨を取集めて。頭より手足の骨をたがへずつゞけ置きて。ひざうと云ふ藥を骨にぬり。いちごとはこべとの葉をもみ合せて後。藤の若葉の糸などにて。骨をからげて。水にて度々洗侍りて。頭とて髮の生ゆべき所には西海枝の葉と。むくげの葉とを。はいにやきて付け侍りて。土の上にたゝみをしきて。彼の骨をふせて置きて。風もすかずしたゝめて。二七日をきて後に。其所に行きて。沈と香とをたきて。反魂の祕術をおこなひ侍りきと申侍りしかば。大方はしかなり。反魂の術猶日淺く侍るにこそ。我は思はざるに四條大納言の流を受けて。人を作り侍りき。今卿相にて侍ると。其れとあかしぬれば。作りたる物も作られたる物も。とけうせければ。口より外には出ださぬなり。其れ程まで知られたらんには。教へ申さん。香をばたかぬなり。其の故は香は魔縁をさけて聖衆を集むる徳侍り。しかるに聖衆生死を深くいみ給ふ程に。心の出でくる亊かたし。沈と乳とをたくべきにや侍らん。又反魂の祕術を行ふ人も。七日物をばくうまじきなり。しかうして造り給へ。すこしもあいたがはじとぞ仰せられ侍りし。しかれども由なしと思ひ歸して。其の後は造らぬなり。又中にも土御門の右大臣の造り給へるに。夢におきて來て我が身は一切の死人を領せるものに侍り。主にもの給ひあはせて。何に此の骨をば取り給ふにかとて。うらめる氣色見えてければ。若比の日記を置く物にあらば。我が子孫造りて。靈に取られなん。いとど由なしとて。やがてやかせ給ひにけり。聞くも無益のわざと覺え侍り。よく/\心得べき亊にや侍らん。但し呉竹の二子は。天老と云ふ鬼の。頻川のほとりにて。作り出だせる賢者と社。傳へたるなれ。  *工亊中  第五 一 西仙上人之亊  過ぎぬる八月のはじめつかた。西山の西住上人と伴ひて。難波のわたりを過ぎ侍りしに。折ふし日のうらゝかにて。風もたち侍らねば。釣舟なみにうかびて。木のはのごとくにみゆ。いかにおほくの魚をつるらん。あらむざんや。此の舟にのりて。彼のうをのために念佛して。後世とはんといへば。實にしかるべしとて。とをあさはるかにあゆみよりて。舟にのせ給へといふに。これは釣する舟にて外へ行くべきにあらず。乘り給ひて何の用か侍らんといふ。あながちにいひてのり侍りき。扨魚のために。ひそかに念佛して後世をとぶらひ侍りき。ここかしこの浦によりて釣するを見侍りしかば何となく  なには人いかなる江にかくちはてん と打ちすさみ侍るを。此の西住上人つけむとて。つら杖つきてうちうめきけるに。つりする翁の。ことの外に年たけたるがとりあへず  あふことなみに身をしづめつつ と付けたるにめづらかにおぼえて。舟にかしこくぞしひて乘侍りて。かかる亊を聞きぬる嬉しさよとおもふ亊たとへんかたなし。此の翁も今はひたすらつりをやめて。連歌に心を入れ侍り。翁の句おもしろさに又思ひよりしかば。  舟のうち波のしたにぞおゐにける といひたるに。又うちあむじて。  あまのしわざもいとまなの世や と詠じ侍りき。たがひに詠じける程に。日も西の山のはにかたぶきぬれば。海士のとまやにこぎもどして。今はいづちへも行くべきよし。翁に暇をこひ侍りしかば。日もくれぬと。あながちに留めしかば。彼のおきなの住家にやどりて。むかし今の物がたりし侍りき。翁のいふやう我は山陰の中納言とかや申し侍りける人の末に侍りけり。父にて有りし人は。東山の邊に住みて侍りけるが。世の中しわびて。此鳥に落ち留りて。浦人のははに。我をうませて侍りけるが。我三つとも申しけるとし。父母ともにはかなくなり侍りき。其後は母方のうばなりし人に。相かかりて侍りしが。十二といふに又かれにもをくれて侍りしかば。何とて今更世の中をふべきともおぼえて侍りしかど。魚をひきて命をつぐに待る。うき世の中のすみうさに。髮おろして。いかならん所にも侍らばやと思へども。さすがに思ひ捨てえで。ただ身一つを助けんとて。おほくの物の命をたつ亊の心うさ。今ももとどりきらんと思ひ侍る亊は。一日にかならず二三度は思ひ出でて。涙のこぼるるなり。其の折しも父の具そくの中に。何となき歌ども書きおき侍るを見て。心をなぐさむるに侍る。妻子と云ふものなくて。すぐに五十年あまりのとしをおくり侍りき。各のありさまを見奉るに殊に浦山しくはんべる。我もともなひたてまつらんとて。やがて手づからもとどりきりて。我が年來のすみかをば。日比したしかりける人になんとらせて。いざなひつれて行住と名を付けて。むらなき後世者にて侍りき。其の後都にのぼりて。西山のふもとに庵をむすびて行ひ侍りけり。西仙上人と聞き侍りしは。此の人の亊にてはんべりき。ゆゆしく行なりて。上人とあふがれ給へり。實にそのしなをいはば。くだれる人に侍らねども。海士のとまやに生れて。いねもせで。うしをくみてこれをやき。みるめをかりて身をたすけ。網を引きて命をいきて。五旬のよはひをへにける人の。俄にほつしんし侍る。いと有がたき亊には侍らずや。年へて都に上り侍りしつひでに。彼の庵にたづねゆきて侍れば。山かげの清水きよくながれて。前は野のはる%\もあるに、四壁も侍らで蘭荊は野干ふしどをしめ。松桂にはふくろうなける所に。むしの音を友とし。鹿をしたしみ契りはんべり。庵うつくしくむすんで。座禪の床にしづまりたまへり。見るにたつとく侍り。彼のひじりの申されしはそれの御故に。かかる身となり、現世後世こころのままに。しおほせ侍ればかへす%\もうれしく侍り。此の恩をばいかでか報に侍らざらんなれば。急ぎ得脱し侍りてとこそ思へとの給はせし。此の聖もいとけなかりけるより。無常を心にかけ給へりとぞうけたまはる。弟子にて有りける僧の。何亊か後世のためにはよく侍ると。とひたてまつりけるに。心をのどめて無常を觀ぜよとこそのたまはせつれ。  *工亊中  第五 二 西住上人住生の亊  西住上人わづらひの亊侍ると聞えしかば。今は限りの對面もあらまほしく覺えて。高野の奧より都に上りて聖の庵に尋ね行きて見侍れば。ことの外におとろへて。はか%\しく物もいひやらず。我をうち見てうれしきとて。涙ぐみし亊の。あはれに覺え侍りて。すずろになみだを落し侍りき。閑居のつれ%\をば。我こそなぐさめ申すべけれ。そこのひとり殘り給ひて。いかにおほしなげかんとて。袂をしぼり侍れば。ただあはれ身にあまりて。其の夜は留まりて萬隙なく。後のわざなんど聞えしかば。さりともやがて。亊はきれじとこそ思ひ侍りしに。其のあかつき西にむかひて念佛して。終りをとり侍りき。今のわかれは。實にかなしく侍れども。一佛淨土の再會を。さりともと心をやりはんべりて。なみだをおさへて。最後の山送りして。なく/\けぶりしなし。骨をばひろひとりて。高野にと心ざし侍りき。其のいとなみし侍りし折ふし。花山院中將かならずまいるべきよし仰せられ侍りしかば。西住上人の亊も申さまほしくて。參りてかくと申すに。なみだにくれ給ひて。此の春東山の花見に。ともなひ給へりしことの。最後のたひめんにありけるぞやとて。  なれ/\て見しは名殘の春ぞともなど白河の花の下かげ とうちすさみ給へるに。殊にあはれに覺え侍りき。歸るみちすがら。露けくて。墨染の藤ころも。色かはるまで侍りき。仙洞忠懃のそのかみより。鵝王歸依のいままで。ふかく契りをむすんで。何の所へもいざなひつれ侍りしに。おくれしかば。實にいきて有るべくも覺え侍らず。草木を見るに付けてもかきくらさるるままには。歸るさの月のひかりおぼろに見えて。いとゞ心もはれやらぬに。風しのの葉草にゆるくとをり。草の露もろくて。物かなしき折節。はつかりがねの雲井に。ほのかになきわたるをきくに。行き合ひにあらざれど。はらわたをたち。千鳥にあらざれども。心をいたましめ侍りき。かくて高野へかへりて。夢に見るやうありし。上人來りて我は都卒の外院に生れぬとて夢さめぬ。かく聞えしのちは。都卒の内院にあらざる亊のうらめしさよと。思ふかたも侍れども外院も又貴くぞ侍る。もし昔のごとく在俗にて朝にみやづかへせしかば。あに外院に往生をとげましや。今生は實びんをかき。裝束をたゞしくして。帝の御まなじりにかゝり。禁中へ出入し。ゆゆしく侍るに。年かたぶきて本鳥を切り。あさの衣にやつれるは。おこがましきににたりといへども。實の心とは時にや侍るらん。此の世ははかなくあだなるさかひなり。それにしばしのほどをへんとて名利にほだされて。長劫の間三途のちまたにしづみ侍らんには。かへす%\口惜しき亊にはあらずや。頼みをかけし主君もたすけ給はず。あはれみはごくみし妻子けんぞくも。中有の旅にはともなひやはし侍る。ただ獨かなしみひとりまよへるは。是世にある人の後の世に侍り。いはんや妻子をふり捨て面白きところ%\をもおがみ。山々寺々をも修行し侍るは。中々にたのもしくぞ侍るべき。もとより世になければ望みもなし。望みなければ恨みもなし。おそろしき主君も侍らねば。御勘氣をも蒙らず。いとをしき妻子ももたざれば。貪着のおこり侍らず。財寶を身にそへねば。野山にふしても盜人のおそれ侍らず。又かかる世すて人に。向の敵かはべらん。後生の昇沈は又申すに及ばず。  *工亊中  第五 五 禪門の僧山居往生の亊  永暦のすゑの八月のころ。信濃國佐野のわたりを過ぎ侍りしに。花ことに面白く。むしの音こゑごゑになきわたりて。行き過がたく侍りて。野道に徘徊し侍るに。玉鉾のゆきかふみちのほかに。少し草かたぶくばかりに見ゆる路あり。いかなる路にかあらんと。床しく覺えて。尋ねていたり侍るに。すすき、かるかや、はぎ、女郎花を手折りて。庵むすんで居たる僧あり。齡四十あまり五そじにもやなりぬらんと見えたり。前にけしかる硯筆ばかりぞ侍りける。實にたつとげなる人に侍り。庵の内を見入り侍れば。手折りて庵につくれる草々に。紙にて札を付けたり。 すすきの戸には。  薄しげる秋の野風のいかならんよな/\むしのこゑのさむけさ 又かるかやの戸には。  山陰の暮れぬとおもへばかるかやのした置く露もまたきいろかな 又ふじばかまのふすまには。  露のぬきあたにおるてふ蘭あきかぜまたで誰にのさまし 又荻の戸には。  夕さればまがきの荻に吹く風の。目に見ぬあきをしるなみだ哉 又女郎花のさけるには。  女郎花うへしまがきの秋の色はなほしろたえの露ぞかはらぬ。 又萩のさけるには。  萩の花うつろふ庭の秋風に。下葉もまたで露はちりつつ。 といづれも札を付け置きて座禪し給へり。ことにやさしくたつとく覺えて。何わざの人ぞいづくより爰へは來り給ふにやといふに。此の春よりとばかりこたへて。其の後は何亊をとひしかども。つゐに物ものたまはざりき。さる程に日もかたぶけば。名殘はつきせねども。なく/\わかれてかへりしが。結縁をもせまほしくて。あさの衣をぬきて彼の庵におきて出で侍りき。かくて西の方へあゆみ出でたれば。まことにけしきは山あり。水きよく流れて岩の有さま見るめめづらかに。繪に書くとも是にはにせじと。心とまるほどなる所なり。川の水上をたづねゆけば。一町あまり來ぬらんとおもふ程に。木の葉をさしおほひて六十あまりにたけたる僧いまそかりけり。爰にも又かかる人やおはしけりとおもふに。むねさはぎて。急ぎよりてみれば。うるはしく座して。ねぶるやうにて。いきたえ給へる人なり。木の枝に紙にて札を付け置き給へり。  むらさきの雲たつ身にしあらざれば。澄める月をぞいつまでも見る と。いふ歌の札なり。あはれにかなしく侍りて。上の聖の同行にこそと思ひて。急ぎ行きてしか%\と云ふに。いとあはれにこそとて。硯引きよせて紙にかくなむ。  迷ひつる心のやみを照しこし。月もあやなく雲かくれけり と書きをはりて筆をもちながら。ねぶれるやうにして終られぬ。あさましく悲しくて。袂にとり付きておめけどもかひぞ侍らぬ。又山陰に住み給へる人は。いかがおはすると思ひて。なく/\はしり行きて見れば。はや首は前にかたぶきゐ給へり。さて有るべきに侍らねば。煙となし奉らんと思ひて。火打ちて既にやかんとし侍りし程に。餘りにかなしうありしかば。閑居の友ともし侍らまほしくて。なみだをのごひて。おろ/\と彼の姿を繪にとどめとりて。後に煙となし奉りて。又野邊の聖の方へ行きてみれば。かれも首はかたぶき給ひしかば。おなじくかたちを冩し留めて。おなじ火にてたきあげて。其の夜は野邊にてよもすがら念佛して。一佛淨土へと乞ひ願ひ侍りて。明けぬれば庵りの歌どもとつて。なく/\去り侍りき。あはれたつとかりける亊かな。生死心にまかせ給へりけるぞ有りがたく侍る。たゞ人ならぬ禪僧なんどにておはしけるにこそ。歌さへ末世には有るべしとも覺えぬ程に侍り。所がら殊に心もすむべきありさまに侍る。人里も侍らず。又もちたくはゆる物も見えず。何としてしばしの程の命をもささへ給へりけるぞや。我が世を背ひて廣く國々をへまはりしに。貴き人々あまた見しかども。かかる人にいまだあはず侍りき。扨も最後臨終にもあひ。けぶりともなしたてまつり。骨をひろひて高野にもよぢ上り。彼の聖たちの筆の跡をもとり留め。歌をも詠じ侍れば。さだめて彼の二所のちからにて。我も淨土へみちびかれ奉らんと覺えて嬉しく侍る。讀み置き給へる歌。書き給へる文字。世のすゑにはたぐひ待らじかし。  *工亊中  第八 一 公任進位并行平遷流之亊  むかし四條大納言公任。齋信中納言を超えて。一階をし給へる時に。かくぞよみ給ひける。 うれしさをむかしは袖につつみけり。こよひは身にもあまりぬるかな 實身をたつるならば。さこそうれしくおもひ給ひけめ。このことは右衞門督齋信卿清暑堂の御神樂によりて。公任をこされ侍りけるなり。其の時公任中納言の。辭表をまいらせられけるに君匡房を御使にて。是はことある辭表なれば。おさむまじきなり。速に一階をそへ給へと。仰下されて。超えられ給へりし。耻をきよむるのみにあらず。超え返し給ひければ。人もめでたき亊になん申しはんべりければ。身にあまるまで思ひ給ひけるなめり。さて悦を袖につゝみ。又身にあまるといふ亊。柿本かや。これをそしり聞へん。公任大納言に。あがり給ひて。出仕給ひけるに。さても三條殿も。東三條の執柄も。いまだおはしまさば。いかばかりうれしかり給はん。又なに亊もたのみこそ。聞へはんべるべきとおぼすに。いまさらかなしくて。 世の中にあらましかばと思ふ人。なきがおほくもなりにけるかな とうち詠じ給へりけるを。中務もれ聞きて。きちやうのきはに。なきふしけるとぞ。あまりにけしからずとぞ。時の人は申侍りけれども。さも思ひ入れける中務かなと覺えて侍る。我が身の官職にすゝむに付けても。その人あらましかばと。おぼゆる亊いかなる人にもあるべきにこそ。  むかし行平中納言と云ふ人いまそかりける。身にあやまつ亊侍りて。須磨の浦にながされて。もしほたれつつ。浦づたひしありき侍りしに。繪島の浦にてがづきするあま人の中に。止まり侍りけるにたより給ひて。いづくにやすみずる人にかと尋ね給ふに。いづくにやすみずる人にガと尋ね給ふに。此の海人とりあへず。 しら波のよする渚に世をすごす。海士の子なればやどもさだめず とよみてまぎれぬ。中納言いとゞかなしうおぼえて。涙もかきあへ給はずとなん。なみのよるひるかづきして。月やどれとはぬれねども。心ありけるたもとかな。波になみしく袖のうへには。月をかさねてなれし面影。そのぬれ衣をかたしきて。舟の中にて世をおくる。海人の中にもかゝるなさけあるたぐひも。侍りけるとおぼへて。殊にあはれに侍る歌。げにゆうに侍り。  第八 二 爲頼歎老苦并高光歎務亊  むかし爲頼中納言の内へまいり給ひて。年比むつましかりける人々のおはする方へ。いでおはしけるほどに。いかなる亊の侍りけるにや若き殿上人中納言をうち見て。皆隱れ忍び給へりければ。中納言涙ぐみて。  いづくにか身をばよせまし世の中に。老をいとはぬ人しなければ と詠みて立ちかへり給ひにけり。なみだのみおつるまでにおもひたまへる。よくおもひ入りたまへりけるにこそ。まこととしたぬればこころもかはり。つき%\しくなるままに。人にいとはるゝに侍り。不老門にのぞまねば。老をとゞむるにあたはず。誰もまたおゐをいとへば。さては老いぬる身をば。いづくにかおかんとなげくに侍り。されば老人は老人を友としてこそ侍るべきに。それは又むづかしくて。若き友にまじらはほしきことに侍るなり。しかればこれも老苦のかずにや。入り侍るべき。  むかし高光宰相の。つかさ申しけるに。かなはで歎きにしづみ給ひけるころ。  *工亊中  第九 十一 江口遊女成尼亊  過ぎぬる長月廿日あまりのころ。江口といふ所に過ぎ侍りしに。家は南北の川にさしはさみ。心は旅人の住來の舟をおもふ。遊女のありさまいとあはれにはかなきものかなと。見たてりし程に冬をまちえぬむら雨の。さえくらし侍りしかば。けしかる賤がふせ屋に立ちより。晴ままつの宿をかり侍しに。あるじの遊女。ゆるす氣色の見へ侍らざりしかば何となく。  世の中をいとふまでこそかたからめ。かりの宿りををしむ君かな とよみてはんべりしかば。あるじの遊女うちわらひて  世をいとふ人とし聞かばかりのやどに。心とむなとおもふばかりぞ と返していそぎ内にいれ侍りき。唯時雨のほどのしばしの宿とせんとこそ思ひ侍りしに。此歌のおもしろさに一夜のふしどとし侍りき。このあるじ遊女。今は四そぢあまりにもやなり侍らん。みめことがらさもあてにやさしく侍りき。終夜なにとなき亊どもかたりし中に。此の遊女のいふやう。いとけなかりしより。かゝる遊女となり侍りて。年ごろそのふるまひをし侍れども。いとほひなくおぼへて侍り。女は殊に罪のふかきとうけたまはるに。このふるまひをさへし侍る亊。實に前の世の宿習のほど思ひしられて侍りて。うたてしくおぼへ侍りしが此の二三年は。此の心いとふかくなり侍りしうへ。年もたけ侍りぬれば。ふつにそのわざをもし侍らぬなり。同じ野守の鏡なれども。夕ベは物かなしくて。すゞろになみだにくらされて侍り。此のかりそめのうき世には。いつまでかあらんずらんと。あぢきなく覺ゆ。あかつきには心のすみて。わかれをしたふ鳥の音など。ことにあはれに侍り。しかあれば夕べには。今夜過なばいかにもならんと思ひ。あかつきには此の夜あけなばさまをかへて思ひとまらんとのみ思ひ侍れども。年をへて思なれにし世の中とて。雪山の鳥の心ちして。今までつれなくもやみぬかなしさとて。しゃくりもあへずなくめり。此の亊聞くにあはれに有りがたく覺えて。墨染の袖しぼりかねて侍りき。夜明け侍りしかば。名殘はおほく侍れども。再會をちぎりて別れ侍りぬ。扨かへる道すがら。貴く覺へて。幾度かなみだをおとしけん。今更心をうごかして。草木を見るにつけても。かきくらさるゝ心ちし侍り。狂言綺語のたはぶれも。讚佛乘の因とは是かとよ。かりのやどりをもをしむ君かなといふ。こしおれを我よまざらましかば。此の遊女のやどりをかさゞらまし。かゝらばなどてか。いみじき人にも會侍るべき。此の君ゆへに我もいさゝかの心を。須臾のほど發し侍りめれば。無上菩提の種もいさゝかなどか。兆さざるべきと嬉しく侍り。扨やくそくの月たづねまかるべきよし。思ひはんべりしほどに。上人の都より來て。うちまぎれてむなしくなりぬる本意なさに。たよりの人をかたらひて。消息しはんべりしに。かく申しおくり侍りき。  かりそめの世にはおもひを殘すなと。聞きし言のは忘られもせず と申しつかはして侍りしに。たよりにつけて其の返亊侍りき。いそぎひらひて侍りしかば世にもおかしき手にて。  忘れずとまづ間くからに袖ぬれて。我身ものいふ夢の世の中 といふて。又おくにさまをこそかへ侍りぬ。しかはあれども。心はつれなくてなんとかきて。又かく  髮おろし衣の色は染めねるに。なにをつれなき心なりけり とかひて侍りき。見しになみだすゞろにもろくて。袂にうけ兼て侍りけり。さもいみじかりける遊女にてぞ待りける。さやうの遊び人なんどはさもあらん人に。なじみ愛せらればやなむとこそ思ふめるに。其の心をもてはなれて。一すぢに後世にこゝるをかけゝん。有りがたきには侍らずや。よもおろ/\の宿善にても侍らじ。世々にたくはへおきぬる戒行どもの。江口の水にうるほされぬるにこそ。歌さへおもしろくぞ侍る。扨も又よひには此の夜すきなばと思ひ。あかつきにはあけなばと涙をながすと語り侍りしを。さまへて後は江口にもすまずとやらん。聞きはんべりしかば。遂にむなしくやみ侍りき。彼の遊女最後の有りさま何とはんべるべきと。返す返す床しく侍り。宵あかつきに。心のすみけん理りにぞ侍る。何と有る亊やらん我らまでも。夕べは物がなしくて。荻の葉にそよめきわたる秋風。あらしかよふとすれば。深山邊の木の葉みだれて物想ふ。時雨にまがふ木の葉にも。袂をぬらすは夕暮のそらなり。長夜のあかつき。さびたる猿のこゑを聞き。胡雁のつらなれる音を聞きはんべるは。その亊となく心のすみて。すずろに涙のこぼるゝぞとよ。  *工亊中  第九 十三 西行遇妻尼亊  其のむかしかしらおろして。貴き寺々にまいりありき侍りし中に。神無月上の弓はり月の比。長谷寺にまいり侍りき。日暮れかゝり侍りて。入あひの鐘のこゑ斗して物さびしきありさま。木ずれのもみぢあらしにたぐふすがた。何となくあはれに侍りき。扨觀音堂にまいりて。法施なんどたむけ侍りて。あたりを見めぐらすに。尼こゝろをしまして念珠をすりはむべり。あはれさにかく。  思ひ入りてするすゞ音の聲すみて。おぼえずたまる我がなみだかな と讀みて侍るを。聞きて此の尼こゑをあげて。こはいかにとて袖にとりつきたるをみれば。年ごろ偕老月穴の。ちぎりあさからざりし女のはやさまかへにけるなり。淺ましく覺へていかにといふに。しばしは涙むねにせけるけしきにて。とりて物いふ亊なし。やゝ程へて涙をおさへていふやうは。君心を發して出給ひのち。何となくすみうかれて。宵毎の鐘もすゞろになみだをもよほし。あかつきの鳥のこゑもいたく身にしみて。あはれにのみなりまさり侍りしかば。過ぎぬる彌生のころ。かしらおろしてかく尼になれり。一人のむすめをば。母かたのおばなる人のもとに。あづけおきて高野の天野の別所にすみ侍るなり。扨も又我をさけて。いかなる人にもなれ給はゞ。よしなきうらみも侍りなまし。是は實の道におもむき給ひぬれば。露ばかりの恨み侍らず。かへつて知識となり給ふなれば。嬉しくこそ。別れたてまつりし時は。淨土の再會をとこそ期し待りしに。思はざるにみづから。夢とこそおぼへ侍れとて。なみだせきかね侍りしかば。樣かへける亊の嬉しく。恨を殘さざりけん亊の。よろこばしさに。すゞろに涙をながし侍りき。扨有るべきにあらざれば。さるべき法文なんどいひをしへて。高野の別所へたづねゆかんとちぎりてわかれ侍りき。年ごろもうるせかりしものとは思ひ侍りしかども。かくまで有るべしとは思はざりき。女の心のうたてきは。かなはぬにつけても。よしなき恨をふくみたえぬ思ひにありかねては。此の世いたづらになしはつる物なるぞかし。しかあるに別れの思ひを知識として。眞のみちにおもひ入りて。かなしき一人むすめを捨けん亊は有がたきには侍らずや。此の亊書きせぬるも。はゞかりおほくかたはらいたく侍れども。何となくみ捨てがたきによりて。我をそばむる人のこゝろを。かへり見ざるなるべし。  第九 十四 南都覺英僧都の亊  そのかみ陸奧の國のかたへさそらへまかりて侍りしに。しのぶのこほりくづの松原とて。人里遠くはなれたる所侍り。ひとへに山にもあらず。又ひたぶる野共云ふべからず。少き岡と見へて木草よしありてしげり。清水四方にながれちり。世をひそかにのがれて。此の郷のほとりに往き度程に見へ渡り。やうやく奧さまに尋ねいたつて侍るに。松の木のしげる下に。竹の笈とあさの衣と殘りて其の身はまかりぬと覺る所あり。いかなる人の跡ならんと。先づかなしうおぼえて見るに。そばなる松の木をけづりのけてかくかきたり。むかしは應理圓實の覺從として公家の梵莚に列り。今は諸國流浪の乞食として終りをくづの松原にとる。  世の中の人にはくづの松原と。よばるゝ名こそうれしかりけれ 于時保元二年二月十七日。權少僧都覺英生年四十一申の刻に終りぬとかゝれたり。此の僧都は後二條殿の御子。富家入道殿の御弟にていまそかりける。  花をのみ惜みなれたるみよし野の。木のまにおつる有明の月 といふ名歌をよみ給へる人にこそ。一條院覺信大僧正の門弟にてすみ給ひけるが。御年はたちあまりのころ夜る俄に發心して。さばかり寒きころほひ。小袖ぬぎすて。ひとへなる物ばかりにていづちとも人にしられで。まぎれ出で給ひにけり。その行すゑをしり奉る人なかりければ。尋ねたてまつるにも及ばで。此の十ヶ國迥りむなしく年をおくり給へと。ほのうけたまはり侍りき。はや諸國流浪していまそかりけるが。此所にて終り給ひけるにこそ。かへす%\あはれに覺へ侍り。一寺の官主として三千の禪徒にいつかれ給ふべき人の。名利の思ひをふりすてゝ。人にはくづの松原とよばるゝ名を心にしめて。最後の時節をおぼへ給ひけん忝きにはあらずや。高僧たちのむかしの跡を聞くにも。又はけがさじの玄賓僧都の古へは。聞くも心のすむぞかし。此の覺英の君は。なをたけてぞ覺え侍る。世をすつとならば。かくこそあらまほしく侍れ。あはれかなしかりける心かな。かりそめの名利に繋がれて。玄賓覺英の心をよそにする亊を。そも/\今生むなしくはせすぎなば何をもつてか人界の思ひでとせん。それ六趣のかたちしな%\あれども。佛道となり。佛教にあへるは人身なり。此の身をうけぬる時。いかにもはげみてむかしの五戒十善のよきたねをもうるほすべきに。たゞいたづらにして。きのふもくれけふもたけて。ひつじのあゆみちかづき生死迷動の白髮をいたゞきぬる亊のかなしさに。遠く傳へ聞きちかく耳にふれしむかしのかしこきこと。まのあたり見侍りし中にも。いみじき人々をかきのせて。且はかの人々のごとくならんと欣求し。且は閑居のたとせんとて。九卷にしるしのせ侍り。此の中に付となき物語のしな%\なる。詩歌雜談を入れたり。是たゞとしても。むかしの跡こひしく。心とまるべき一ふしもやと思ひて。まめやかのすゞろことをものせ侍り。新羅の元曉法師のことばに。他作自受の理なしといへども。縁喜難思のちからありと侍れば。おなじく書つらぬる中のざふだんは。他力をも蒙れかしと思ひ侍りて。亊はおほしといへども。九帖として書しるしぬ。于時壽永二年むつきの下の弓はりに。讚州善通寺の方丈のいほにしてしるし終りぬ  End  親本::   著名:  元祿刊本 撰集抄 (元祿十四年板本)  底本::   著名:  撰集抄        新型名著文庫第一期刊行(廿五册)   著者:  不明   校訂者: 芳賀 矢一   發行者: 合資會社 冨山房   發行:  昭和二年九月廿五日   價格:  正價金壹圓  入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力日: 2001年02月17日  校正::   校正者:    校正日: