Title 拾遺都名所図会  Book 拾遺都名所図会巻之一 平安城 【無し】  Book 拾遺都名所図会巻之二 左青竜  Subtitle 芭蕉堂  Description  (双林寺の境内、西行庵の西にいとなみしなり)。  「山家集」  いにしへごろ、ひがし山にあみだ房と申しける上人の菴室にま  かりてみけるに、哀れとおぼえてよみける                西行法師 柴の庵ときくは賤しき名なれども世にこのもしき住まひなりけり  「小文庫」  このうたは、ひがし山にすみける僧をたづねて西行のよませたま  ふよし、「山家集」にのせられたり。いかなる住居にやと、まづ  その坊なつかしければ、               はせを 柴の戸の月やそのままあみだ坊  芭蕉翁肖像(ここに安置す。木像八寸ばかり。この影像は、ばせ をの翁の愛したまふ桜樹のありしを、歿せられし後のとし、門葉の 五老井許六といふ人きざみたまひ、大津の智月尼といふに与ふ。か の文に見ゆ。それより智月の従者宗寿尼といふもの貰ひ、わが故郷 越の方へ持ちかへり、越中の国の農家にありて年久しく煤挨に黒み ありしを、高岡金屋氏の手にわたり、その後富山の医生橘氏といふ 人これを乞ふて、文とともに伝来しけり。その后、加賀の金府の吉 良が方へさづかりける。このものはいまの半化房の門人なるゆゑ、 亡命の後遺言により半化房の許に遷しける。しかあれば、芭蕉翁の このほ句を基として、ここにばせを堂をいとなみ安置しけるなり。 その側らに南無菴といふあり。これもこの発句の謂ひによりて名づ けしなり。これなん半化房闌更が舎なりけり。その許六が文に曰く)  御ゆかしき節、せうそこ御無事のよし目出たく存じ候ふ。  拙者いまだすきと御座なく候ふ。像も延引に及び候ふ。  この度扇もてにふれられし五老井の古木にて刻みまゐら  せ候ふ。別紙も添へ、兼ねて大きなる像刻みたき望み御  座候へども、病気にてかなひがたく候ふ。なほまた、御  意を得べく申し入れ候ふ。           不備   十月三日                許六 霜ののち像に添ゆべき菊もなし   知月尼  芭蕉翁の碑(双林寺の内、西行の塔の側らにあり。美濃の東華坊 支考これを書して建てられしなり。毎歳三月十二日、墨直しといふ ことあり。獅子庵の支流廬元・呉竹・再和などの門派の人々、美濃 より上洛して碑文の墨を修補し、当山において俳筵を催しけるなり。 その碑文に曰く)   わが師が伊賀の国に生まれて、承応の頃より藤堂の家  につかふ。その先は桃地の党とかや。いまの氏は松尾な  りけり。年まだ四十の老をまたず、武陵の深川に世を遁  れて、世に芭蕉の翁とは人のもてはやしたる名なるべし。  道はつとめて今日の変化をしり、俳諧は遊びて行脚の便  りを求むといふべし。されば松嶋は明ぼのの花に笑ひ、  象潟はゆふべの雨に泣くとこそ。富士・よし野の名に対  して、「われに一字の作なし」とは、古へをつたへいま  ををしふるの辞にぞ。漂泊すでに二十とせの秋暮れて、  難波の浦に世をみはてけん。その頃は神無月の中の二日  なりけり。さるを湖水のほとりにその魂をとめて、かの  木曽寺の苔の下に、千歳の名は朽ちざらまし。東華坊こ  こにこの碑を造ることは、頓阿、西行に法筵を結びて、  道に七字の心を伝ふべきとなり。 あづさ弓 武さしの国の 名にしあふ 世に墨染めの 先にたつ 人にあらずに ありし世の 言の葉はみな 声ありて その玉川の みなかみの 水のこころぞ 汲みてしる 六すぢ五すぢ たてよこに 流水てすゑは ふか川や この世を露の おきてねて その陰たのむ その葉だに いつ秋風の やぶりけむ その名ばかりに とざしおきぬ 春をかがみの 人も見ぬ 身を難波津の 花とさく はなの鏡に 夢ぞ覚めぬる  背文 維匠不言 謎文以伝  Figure 4222-4223 高台寺萩の花  Description  西行法師、宮城野の萩を慈鎮和尚に奉りし、その萩いまに残り侍 りしを、草庵にうつしうゑ侍りし。花の頃、その国の人きたり侍り しに                宗祇 露けさややどもみやぎ野萩の花                はせを 小萩ちれますほの小貝こさかづき  Book 拾遺都名所図会巻之三 後玄武・右白虎  Figure 5016 とめこかしの梅  Description 西行上人とめこかしの梅は 上加茂の堤の南西念寺 といふにあり此所堤の 下にて地形低により世に 窪寺ともいふ  「新古今」                西行法師 とめこかし梅さかりなるふか宿をうときも人はをりにこそよれ  Subtitle 静原  Description (ちまたの辻より十町余にあり。このところ山間にして、南北にわ たり人家多し)。  「山家集」                西行 山がつの住む方みゆるわたりかな冬にあせ行く静原の里  Subtitle 須美社  Description (同所、北の端より二町ばかり南、民家の西にあり。祭神未考。例 祭は三月十日。この日柴野今宮のやすらひ花の祭りは、当社におい てまづ勤めて、その後今宮に到るなり。すなはち当所の土人これを 勤むるなり。一説に、この祭りいにしへ高雄山法華寺の縁により起 こるといふ。委しくは前編に見えたり。「夫木集」西行法師和歌あ り)。 【「夫木集」】               【西行】 高雄山あは山なりけるつとめかなやすらひ花と鼓うつなり  Subtitle 西行法師菴の跡  Description (二尊院中門のひがし、運善院の南、薮の内にあり)。  「山家集」                西行 をじか鳴く小倉の山のすそ近みただ独りすむわが心かな  Subtitle 法輪寺  Description (由緑前編に見えたればここに略しぬ。地境の画図は、景色を書き たれば委しからず。ゆゑにその図を起こしてここに顕す)。  そもそも、この地はいにしへより桜花かずかずありて、弥生のさ かりには都下の騒人ここに詣し、あるは大堰の川辺にやすらひて、 酒をすすめ、渡月橋の行人筏を下す。春のしがらみ、また秋はあら しの山の紅葉ば、戸灘瀬の滝・千鳥が淵・小督が塚・西行桜・轟の 橋、まことに美景鈴りょうとして、ながめ足らずといふことなし。  「家集」  法輪に籠りたる頃、人の問ひ来つて帰りなむとするに                兼好 もろともに聞くだにさびし思ひおけ帰らん宿の峰の松風  Figure 5107 西行桜  Description  法輪寺の南にあり。  「新古今」                西行法師 ながむとて花にもいたく馴れぬればちるわかれこそ悲しかりけれ  Book 拾遺都名所図会巻之四 前朱雀  Subtitle 御所内  Description (城南神の南、中嶋のひがし三町ばかりの地の字なり。これすなは ち白河院・鳥羽院の両帝仙居したまふ、城南離宮南殿の旧跡なりと ぞ。北殿はいまの安楽寿院の地なり。また中嶋村民居一町ばかり艮 の方に、一壇高き地あり、字を高畠といふ。いにしへ仮山の地なり。 また、このところのひがしに御池といふ字のところあり。いにしへ の池にして、いま水涸れて田畑となる。土人曰く、七、八十年以前 土中より船の形の朽ち木を掘りせしといふ。そのほか、竜頭・前山 ・平門・院馬場・菖蒲池・泉水等の字あり。これみな離宮の旧跡な り。余は前編に見えたり)。  「千載」  鳥羽殿におはしましける頃、つねに花を見るといへる心をつか  うまつりけるついでに、読ませたまひける               白河院 咲きしより散るまで見れば木のもとに花も日数も積もりぬるかな  「千載」  わづらはせたまふけるとき、鳥羽殿にて時鳥の鳴きけるを聞か  せたまふて、読ませたまふける                鳥羽院 常よりもむつまじきかな郭公しでの山路の友と思へば  「山家集」  鳥羽殿の南殿の東西の坪に、所なきほどに菊植ゑさせたまひけり。  公重少将、人々すすめて菊もてなさせけるに、くははるべきよし  ありければ                西行 君が住むやどの坪には菊ぞかざる杣の宮とやいふべかるらん  「千載」  建永元年八月十五夜、鳥羽殿に御幸ありて、御舟にて御遊な  どありける月の夜、和歌所のをのこども参れりけるよし聞こ  し召して、いたさせたまひける                後鳥羽院 いにしへも心のままに見し月の跡を尋ぬる秋の池水  鳥羽殿の門は南北にありて、御所は西面にして羅城門より山崎に 至る往週道なり。その西に舟着きあり。これより神崎・大物浦にい たる。この下流は鴨川・桂川の末なり。またこのほとりに洲浜殿と て新大納言成親卿の別荘あり。この人、俊寛僧都などと叛逆の企て ある由あらはれて、左遷のときここより舟に乗りたまふ。「平家物 語」曰く、「鳥羽殿を過ぎたまふにも、この御所へ御幸なりしには、 一度も御供にははづれざりしものをとて、わが山荘洲浜殿とてあり しをも、余所に見てこそ通られけれ。鳥羽の南の門出でて、舟遅し とぞ急がせける」。  Subtitle 西行寺  Description (不動院の北にあり。鳥羽院北面佐藤兵衛憲清、このところに別館 を賜つて鳥羽の仙院へ昵近す。保元元年七月二日、鳥羽院崩御の後、 ここにて落髪したまひ、西行法師と号す。剃髪塔あり。以上寺説な り。本尊は阿弥陀仏の坐像を安置す。また西行上人、同侶西住上人 の両像、ともに厨子に安ず。また西行上人の念持仏、地蔵尊を安ず。 定朝の作にして立像一尺八寸、火災除滅の応験ありとて火消し地蔵 と称す。いま浄土宗の僧守る)。 【以下略】  End  底本の親本::   書名:  拾遺都名所図会   発行:  天明七年   著者:  秋里籬島   画 :  竹原春朝斎  底本::   書名:  都名所図会1−5   発行所: 株式会社 筑摩書房   発行日: 1999年02月10日−1999年06月10日   校訂:  市古夏生・鈴木健一  翻刻::   翻刻者: 新渡戸 広明(nitobe@saigyo.net)  入力::   入力者: 新渡戸 広明(nitobe@saigyo.net)   入力機: SHARP Zaurus MI-E21   編集機: IBM ThinkPad X31 2672-CBJ   入力日: 2006年03月11日 $Id: zue_miyako_j.txt,v 1.5 2019/07/09 02:30:53 saigyo Exp $