東遊記後編 卷之三 北極星


規則 13: 自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。

東遊記後編Link  いまのところ、北極星の項のみ
橘南谿の天明四年から六年(1784年~1786年)の旅行記である。渋川春海と伊能忠敬の中間の時代だ。どちらかと言えば伊能忠敬の時代に近い。江戸の北極出地の値三十六度強より、周天365.25分割を使用していると推察する。

東遊記後編
卷之三
 【前略】
 〇北極星
北極星出地の高下によりて、地球の南北を知る事なり。地上にて眞直に二十五里程を
隔つる時は、天にて一度を違ふ故に、北極星の度數を知れば、居ながら國の南北を知り、
又國の寒暖を知る。醫者も國々の氣候をしらざれば、其國の陰陽の變化を盡さず。故に
疾病をも察する事あたはず。扨古人天學に精しき人萬國の度數をしるし置、又日本にて
も諸國の度數詳にしるせるものあり。余も漫遊のついで、猶みづから北極の度數を測
試て、後日の考の一助とせんと、旅中にても用ふべき測量の器を新に工夫し、造り
出して、携へ行、國々にて測り見しに、先越中富山にて見る所、北極星地を出る事三十
六度半強なり。出羽國秋田四十度半なり。奧州津輕碇が關四十一度四分なり。同青森四
十一度七分なり。同三馬屋四十二度二分なり。南部盛岡の四里北に澁民と云所あり、此
所四十度七分なり。殊に三馬屋は日本極北の地なれば、別して丁寧精密に測りて、分厘
を不違所四十二度二分なり。猶南部地の佐井、ヲコペの邊は。其鼻大に北に出たれば、
四十三度にも至るべし。其地に至り得ざれば測らず。誠に津輕地は寒氣甚敷、海濱皆
韃地の砂漠に似たるもむべなり。唐土の北京も四十度程の地なれば、其砂漠も四十二三
度の内外なるべし。また日本にて極南の地は大隅國佐田岬なり。是三十一度弱の所なり。
是を以てみれば、日本も南北十二三度に及ぶ國なれば、小國とも云ふべからず。京都は
皆人のしる如く、三十五度強なり。江戸は三十六度強なり。唐土にても洛陽長安抔三十
五六度の地と云。齊魯三十六七度の所と云。殊に唐土にても、日本にても、中和の所な
り。三十五六度の國は四時の氣候正しくして、人物も聖賢を出し、草木もよく暢茂す。
南に過れば、その氣温暖にして物をとらかし、石までも柔にして、山岳も高からず
穩なり。北に過れば、その氣寒冷にして物を凝らし、水までも氷り、山岳も峨々と聳え
て高し。陰陽薫蒸の鹽梅至極奇妙なるものなり。
【後略】
  著名:  東西遊記 全 ・ 北(窓)瑣談 全
  著者:  橘 南谿
  編輯:  三浦 理
  發行者: 三浦 理
  發行所: 有朋堂書店
  發行日: 大正二年八月五日 初版發行
       大正二年十一月廿九日 再版發行
 入力::
  入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)
  入力機: Dell XPS8300
  編集機: Dell XPS8300
  入力日: 2012年07月02日

 

— posted by nitobe at 05:03 pm   commentComment [0] 

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